2010年3月23日火曜日

日本古代王族の婚姻系譜(46)

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:30頁

出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征

「裏返しの系譜も完全一致 史実確認の一手法」

但し、この系図は上のパターンと少し違うではないか、と、不満として、

この裏返しの系図を求めてみると、完全に一致する系図が得られる。

「系図P」

紛西 _|胆咋      ∥_|五十琴    ∥_|伊呂弗
(景行天皇)   (彦人大兄王)   (大名方王)
比メ古  ∥  香児姫    ∥  |大中姫    ∥_|全能姫
(カグロ姫)     (銀王)        鷲住王    ∥  |カゴサカ皇子
                                                 (仲哀天皇)   |オシクマ皇子

鷲住王の妹も娘も、とにかく、

はらわたに染みる声を出して泣く女性だったと仁賢6年条に書いてあるから、

内礼=奈良姫(奈落=浄土=葬式に従事した女性)だったのである。

布都久留である枕流王は384、385年の在位だから、この頃、

苻洛は命もからがらに「枕崎に流れ着いた」

(「枕流」王の意味するところ)のである。

この頃、彼(苻洛=布都久留=応神天皇)の従兄弟にあたる

カゴサカ、オシクマ皇子がなんらかの事情があって

(「応神天皇の即位を妨げようとした」ということから類推)、

両者の間に攻防があったということで、結果的には布都久留が勝利した。

ここで僕が考察したいことの力点は、両者の攻防の内容や因果の究明にあるのではなく、

神功皇后が赤ん坊の応神天皇を連れて(武内宿弥がおんぶだか抱っこだかして)

近畿地方に攻め込んだ…という、多くの従来説のいい加減さについて、ということである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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