『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:30頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
「裏返しの系譜も完全一致 史実確認の一手法」
但し、この系図は上のパターンと少し違うではないか、と、不満として、
この裏返しの系図を求めてみると、完全に一致する系図が得られる。
「系図P」
紛西 _|胆咋 ∥_|五十琴 ∥_|伊呂弗
(景行天皇) (彦人大兄王) (大名方王)
比メ古 ∥ 香児姫 ∥ |大中姫 ∥_|全能姫
(カグロ姫) (銀王) 鷲住王 ∥ |カゴサカ皇子
(仲哀天皇) |オシクマ皇子
鷲住王の妹も娘も、とにかく、
はらわたに染みる声を出して泣く女性だったと仁賢6年条に書いてあるから、
内礼=奈良姫(奈落=浄土=葬式に従事した女性)だったのである。
布都久留である枕流王は384、385年の在位だから、この頃、
苻洛は命もからがらに「枕崎に流れ着いた」
(「枕流」王の意味するところ)のである。
この頃、彼(苻洛=布都久留=応神天皇)の従兄弟にあたる
カゴサカ、オシクマ皇子がなんらかの事情があって
(「応神天皇の即位を妨げようとした」ということから類推)、
両者の間に攻防があったということで、結果的には布都久留が勝利した。
ここで僕が考察したいことの力点は、両者の攻防の内容や因果の究明にあるのではなく、
神功皇后が赤ん坊の応神天皇を連れて(武内宿弥がおんぶだか抱っこだかして)
近畿地方に攻め込んだ…という、多くの従来説のいい加減さについて、ということである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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