2010年3月27日土曜日

動かぬ証拠は『隋書』『唐書』の記録

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:6頁

実はそれについては本講ですでにお話しした。

天智天皇(新羅王・金春秋〉が唐の援軍を背景に倒した倭国大阪政権が、

東方に大移動するためには、

そこに住んでいる先住民を追い払わなければならない。

神武東征記事どころではない屍山血河(しざ
けつが)の戦いが、

その行く先ざきで繰り返され占領地には勝者の国名がつけられて、

敗者の旧国名は消されてしまった。


それが今なおビッシリと地名として残っているから、

私たちの言語復原史学によって、

史実を眼に見るように復元できるが、

これらの事件とは無関係だった大和朝廷の記録・

『日本書紀』以後の正史や史料には、

そんな前政権・倭国の戦争については
まるで記載がない。

わずかに『風土記』に片鱗が見られるものがあるが、

それも大和新政権の方針で改悪されて、

前記の日本武尊物語のようなものになっていて、

史実を混乱させる役目しか果たしていない。

しかし明治以降、

大和朝廷を「神格化」する教育がおこなわれ、

それに毒された教育者が強制した授業を受けた戦前派の学者たちは、

以上の事実を認めようとはしない。

その追随者が今なお居るとすれば、

彼等は『隋書』や『唐書』が全然理解できていないのである。

『隋書』の俀(ダイ)国の首都は四国の西端・宇和島をはっきり指しているし、

『唐書』の大国・倭(ワ)国は四国全域を表示している。

とても近畿以東、関東・北陸・東北地方を含むサイズではない。

『参考』

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