2010年3月14日日曜日

日本古代王族の婚姻系譜(37)

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:21頁


 出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征


 「列石施設築造は石氏の事業だったか?」


 息長日子王の妃附志は汾西の妹で、


 この汾西、附志はフシ=フジ=葛(フジとも読む)=百済


 (フシ?クダラは後の時代の発音)で、


 汾西の子孫(孫)の五十琴宿祢は


 第13代百済王(近肖古王346~375)と解明されるから、


 汾西も、その妹の夫息長日子王も間違いなく首済殿(ポセイドン)なのである。


 真浄ま百済本紀の近肖古王の立場から表現すると「朝廷佐平」であるが、


 前金官加羅国の立場でいうと、


 彼自身が前金官加羅国王=倭国王=倭帯(タラシ)=帯隈(山列石遺跡ということになる


 (前文の繰り返し)。


 美川王の妃の父は石勒で、石氏は羯族の長で、羯族の宗教はゾロアスター教だった


 (小林「4C」p215)とある。


 真浄の弟にあたる石虎は「大土木工事をおこすのを好んだ」(p400陳舜臣前掲書)。


 石虎が趙王を潜称したのが334年、没年は449年(後趙)だから、


 列石施改築造の企画立案や現場監督の任務についていたこともあったのではないか…という


 程度のところまでは、推理が出来る。


 同じ圏内の列石遺跡のうち、把木遺跡の把木は葉木、抜奇と同じだから、


 K系図を少し変更すると、


  2      3      4      5    6   7    8


 抜奇 ∥_|八坂王∥_|大筒木垂根∥_|息長 ━千熊 ━真浄 ━武内宿祢
 竹野姫∥  真敷 ∥  菅韓多羅 ∥  日子王 長彦 (把木)(把木)


 となって、


 把木遺跡は武内宿祢が築造者なのではないか、という推測も成立するが、


 今はおつぼ山、雷山、帯隈山遺跡の築造者推定だけで満足することにしたい。


『参考』


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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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