『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:28頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
「蓋婁王に関連のある地名」
この蓋婁王と香児姫が兄妹であることは、前稿で既に確認している。
驚住王は驚羽山=岡山県、住は住之江(博多湾?)、
枕崎の真椋が「麦入」だとすると麦は妻木だから
都満・霧(之固)、入=入来(いれき)である。
「全能」はマッタクノだからマッタ(馬田、末羅)、
マッ(タ)クラ(ノ=ロ=ラ、no=ro=ra)=マクラ(=真椋)だから、
夫婦として同じ名前になるようになっている。
10代目の世代の石持連について、
右京諸蕃下に
「石野連は百済国人の近速古王(近肖古王)の孫憶頼福留(真掠に相当)の後也。
続紀天平宝字5年条百済人憶頼子老ら41人に石野連の姓を賜う、とあるから、
五十琴(近肖古王)-伊呂弗-真椋-石持連…石野連ということになり、
この系譜の信憑牲を証明する。
憶頼は巨椋と同じ
(京都伏見の巨椋池やマ・クラの倒置のクラ・マ=鞍馬寺の名とかかわりがある)である。
速古=ハヤ・フルで隼人町・夫余で、近肖古王の都が南九州だったことがわかる。
大前小前は御前(オマエ→ミサキ)と同じだから、
地御前(広島県。ジゴゼンと読むがチのオマエとも読める)、
赤穂岬(御前)、
河内の「お日の御前」(谷川前掲書)の地名は
彼らの進出地であることを示している。
岡山県和気郡日生町=日の御前(ヒのゴゼ→ヒのゼ→ヒなゼ→ヒなセ=ひなせ)→日生。
大前小前が日(種子島、豊前豊後)の神前(お上)だったのである。
赤穂は阿華・穂になる。
島根県日の岬(御崎)は多遅麻や伊呂弗は若狭まで進出していた
(小林「4C」)ことから類推できるのではないか。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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