『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:26頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
「履中天皇は多遅麻」
これを論証抜きで解明すると、次のようである。
実は名前を入れ替えるだけで論証になっているのである。
「系図M」
7 8 9
|五十琴
|五十琴姫 ∥
(弟姫) |驚住王 応神天皇∥
五十功彦 ∥_|安姫 ∥_|山無姫 ∥
(本姫郎姫) |大別
|清姫 ∥ |オナベ姫
蓋婁王(陳安)∥_|多遅麻 ∥
|中姫
このように、鮒磯別王=五十功彦に他ならない。
すると、
前稿(「七支刀」)で多遅麻が
百済14代近仇首王と解明しているから、
百済本紀にある近仇首王の男(しゅうと)の真高道は、
多遅麻の妃の父の五十功彦(=鮒磯別王)ということになる。
応神天鼻の妃の別名の一つは太姫であるから、
安姫(太姫郎姫)━太姫(山無姫)と、
母と娘が同じ部分(「太姫」)を含みもっていて、
天孫本紀は
「山無姫(太姫)は履中6年2月条の太姫郎姫(安姫)の娘なんだ、
その履中天皇は多遅麻のことなんだ、気付いてくれ」
といっているのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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