2010年3月21日日曜日

日本古代王族の婚姻系譜(44)

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:28頁

出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征

「蓋婁王に関連のある地名」

この蓋婁王と香児姫が兄妹であることは、前稿で既に確認している。

驚住王は驚羽山=岡山県、住は住之江(博多湾?)、

枕崎の真椋が「麦入」だとすると麦は妻木だから

都満・霧(之固)、入=入来(いれき)である。

「全能」はマッタクノだからマッタ(馬田、末羅)、

マッ(タ)クラ(ノ=ロ=ラ、no=ro=ra)=マクラ(=真椋)だから、

夫婦として同じ名前になるようになっている。

10代目の世代の石持連について、

右京諸蕃下に

「石野連は百済国人の近速古王(近肖古王)の孫憶頼福留(真掠に相当)の後也。

続紀天平宝字5年条百済人憶頼子老ら41人に石野連の姓を賜う、とあるから、

五十琴(近肖古王)-伊呂弗-真椋-石持連…石野連ということになり、

この系譜の信憑牲を証明する。

憶頼は巨椋と同じ

(京都伏見の巨椋池やマ・クラの倒置のクラ・マ=鞍馬寺の名とかかわりがある)である。

速古=ハヤ・フルで隼人町・夫余で、近肖古王の都が南九州だったことがわかる。

大前小前は御前(オマエ→ミサキ)と同じだから、

地御前(広島県。ジゴゼンと読むがチのオマエとも読める)、

赤穂岬(御前)、

河内の「お日の御前」(谷川前掲書)の地名は

彼らの進出地であることを示している。

岡山県和気郡日生町=日の御前(ヒのゴゼ→ヒのゼ→ヒなゼ→ヒなセ=ひなせ)→日生。

大前小前が日(種子島、豊前豊後)の神前(お上)だったのである。

赤穂は阿華・穂になる。

島根県日の岬(御崎)は多遅麻や伊呂弗は若狭まで進出していた

(小林「4C」)ことから類推できるのではないか。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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