ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2010年3月11日木曜日
日本古代王族の婚姻系譜(34)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:18頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
「「国造り」=「よみがえり」世界観の象徴」
どんな小さな国(邦)でも、新しく邦を始めるときには、
その邦のシンボルとなるものを設定する
(ヘソ石を据える、山中の岩を割る、小山を築く、杭を打つ、木を植えるなど)、
あるいはそういう行為を為すのである。
こういうものを築造して王の権威の高揚を図る(築造するだけの力量を誇示する)、
あるいは国民意識の高揚の効能もあるであろう。
いずれにしても、奴隷労働などではありえない、ということはいえる。
立岩から割石一つ切り出すにしても、
国民総動員で力を合わせて運搬したのである
(総動員というのは直接間接という意味である。
男はロープを引っ張り、女は食事をつくった《かどうかはわからないが》)。
それが国造りというものだからである。
ある時期(四世紀初頭~およそ前半)、ある集団にとっては、
丘の中腹に列石施役の築造がそれに該当した、というだけのことである。
それにしても、こんな大それた施設を軍事目的以外の目的で築くということは、
相当に強く大きな、意識的、生産力(国力)的なインパクトがあったのに違いない。
世界観の断裂があったと表現出来る程度のそれである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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