2010年3月9日火曜日

日本古代王族の婚姻系譜(32)



 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:16頁


 出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征


 「神篭石=山城説の決め手・おつぼ山遺跡」


 これらの文中にある「土塁」は7世紀後半に、


 別の目的(強制的奴隷労働=奈良の亀石施設と


 その周辺の大土木工事と機を一にしたもの)に


 よって行われた工事で、


 エネルギーを消耗させるためだけの工事(労働のための労働)である。


 一例だけ上げると、おつぼ山の何番目かの水門は比較的小規模であるが、


 美しいものである(芸術的印象を受ける)が、


 それでさえもスッポリと土塁で覆い隠されていたものを、


 (昭和36年に?)土塁を除いて水門が見えるようにしている部分がある。


 これだけでもいえることは、列石遺跡築造の時期に、


 土塁は存在していなかったことがわかる、


 ということである。


 日の前に美しい水門が見えていて、


 そこからトウトウと水が流れ落ちていてこそ、


 水門施設築造の目的に適うのだから、


 ことさらそれを土塁で覆い隠す必要はないし、


 もし山城施設用の水門なのであれば、


 それは単なる排水施故でさえあれば十分なのであって、


 なにも芸術牲を志向する必要性は皆無である(実用牲だけが意味をもつ)。


 巨大な鬼城や御所が谷遺跡ならまだしも(山城か杏か吟味する値打ちがある)、


 一番低平なおつぼ山や、鹿毛馬、永納山遺跡を「山城跡」と判定するのは、


 およそ合理的な知性の範疇を逸脱している、としかいいようがない。


 列石施設築造時期には、土塁は無関係と考察する必要がある


 (頭の中で土塁を消去して、もとの施故をイメージする)。


『参考』


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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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