『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:3頁
『記・紀』の建国史の冒頭にある「神武天皇東征」は、
よくみると奈良という一小地域を占拠したというだけのものでしかない。
ところがそれが『神武建国』として特筆大書されているのである。
この点に注意すると、幾つもの疑問が沸き上がってくる。
まずそこが当時なら特筆されていい大文明地域だったはずの
「銅鐸文化圏」、
だったことについて、『神武紀』は一言半句も触れていない。
そこには進んだ青銅工業技術と、
銅鐸絵画が立証する水稲稲作技術の先進性や、
それをどこからか運んできた人々の言語や風俗、
信仰などの大きなちがいがあったはずなのに、
それがまるで書かれていない。
そこに記録されたものは、
会話ひとつにしても通訳を必要としない同族間のものである。
ところが建国後2千年、国民が流動して混じりあい、
明治以来、
統一国家としての標準語教育が浸透している現在でも、
南九州と奈良の言葉は互いに通じないほど異なっている。
しかしそれを無視しても、さらに納得できないのは、
山間の不毛の寒地にすぎない奈良を奪取したと、
最大級の誇りをもって描いているのなら、
それに比べて幾千倍もの広大な土地である奈良以東の関東圏から東北圏を、
領土に加えた大勝利の記事が、『記・紀』にはなぜ?ないのであろうか?。
それこそ神武東征に勝る『東征』だったはずなのに…?…。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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