『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:15頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
「列石遺跡と山城」
故国原王は前出のように335年、342年に城を築いた
(およそ岩で築く山城)という記録があり、
列石遺跡と半島の山城との類似性は、
その両方を観察した人が一様に表現しているから
(僕は半島の山城は本の写真を見るだけ)、
上のような相関関係になることが、初歩的ながらいえる。
おつぼ山列石遺跡は規模が最も小さく、最も素朴な印象がするから、
相対比較上(比較遺跡学的にいって)一番始めの築造物といえるのではないか。
それに、所在位置的にも一番西に位置している遺跡である。
築造目的(なんのために築造したのか、何を築造したのか)については、
おつぼ山に限らず、
ほとんどが山城説=山城として築いた
(あるいは、神域説は退けられて山城(跡)説に落ち着いた(結論になった)、
というものである。
この遺跡については「権威ある学説?」などというものは適用しないから
(僕も含めてあれこれいっているだけ)、
どのようにいわれているかを知るだけで十分なので、
二つだけ紹介する(ほかのものも大同小異である)(その部分だけ)。
「観光パンフレット(おつぼ山)」
昭和36年に発見されたとき、
水門、木柵を立てた穴、列石の上の土塁などが認められ、
神籠石を山城とする説の決め手となった。
石城山(山口県、大和町教育委員会)
昭和38、9年、国の文化財保護委員会と大和村との共同による発掘調査の結果、
従来知られていなかった空壕、桂穴、版築工法による大土塁が
数首メートルにわたり発見され、
神籠石式古代山城の一つであるといわれるようになった。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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