2010年3月8日月曜日

日本古代王族の婚姻系譜(31)

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:15頁


出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征


「列石遺跡と山城」


故国原王は前出のように335年、342年に城を築いた


(およそ岩で築く山城)という記録があり、


列石遺跡と半島の山城との類似性は、


その両方を観察した人が一様に表現しているから


(僕は半島の山城は本の写真を見るだけ)、


上のような相関関係になることが、初歩的ながらいえる。


おつぼ山列石遺跡は規模が最も小さく、最も素朴な印象がするから、


相対比較上(比較遺跡学的にいって)一番始めの築造物といえるのではないか。


それに、所在位置的にも一番西に位置している遺跡である。


築造目的(なんのために築造したのか、何を築造したのか)については、


おつぼ山に限らず、


ほとんどが山城説=山城として築いた


(あるいは、神域説は退けられて山城(跡)説に落ち着いた(結論になった)、


というものである。


この遺跡については「権威ある学説?」などというものは適用しないから


(僕も含めてあれこれいっているだけ)、


どのようにいわれているかを知るだけで十分なので、


二つだけ紹介する(ほかのものも大同小異である)(その部分だけ)。


「観光パンフレット(おつぼ山)」


昭和36年に発見されたとき、


水門、木柵を立てた穴、列石の上の土塁などが認められ、


神籠石を山城とする説の決め手となった。


石城山(山口県、大和町教育委員会)


昭和38、9年、国の文化財保護委員会と大和村との共同による発掘調査の結果、


従来知られていなかった空壕、桂穴、版築工法による大土塁が


数首メートルにわたり発見され、


神籠石式古代山城の一つであるといわれるようになった。


『参考』


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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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