『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:14頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
「壹與をとりまく仏教名と列石遺跡」
壹與は卑弥呼の宗教的後継予定者であったのであり、
血縁者でもある(卑弥呼や弟の曾孫)が、
シーラバッガ派(シンドー教の一派)の位宮の養女として
(加治木著書及び通信講座)、
女王に共立され、自らは天御中主(ビシュヌー教徒)になった。
三角縁神獣鏡は卑弥呼の好物(鏡)と、
シンドー(西王母東王父、神獣)教を
折衷した要素を表現したもの=ビシュヌー教徒を
意味しているのではないだろうか。
壹與は結果として卑弥呼の仏教倭国を排して(タタス《仏を去る?》)、
ビシュヌーの倭国女王として宗教的に成長した女性である、
という意味が含まれている。
おつぼ山列石遺跡のすぐ目の前の山が「立岩」である
(…使用された石材は安山岩質のもので、杵島山の各所で見られ、
おつぼ山に近い立岩付近がその石材採集加工地といわれている。
立岩は神籠石の北東約800mに位置し、
おつぼ山東側によく見える一武堆市教育委員会による掲示板より)。
以上から、以下の図式が得られそうである。
壹與 --咄固(儒礼王)- 美川王(肥前王)-故国原王
朴赫居世 (基臨王) 300~331 331~371
富登 岐(黄、気) 多多須 良伊(雷)
穂・投 霧(之国) 立の(立岩の)
伊勢(伊須須)
伊江島=依
壹国=依、姫木山 おつぼ山列石遺跡 雷山列石遺跡
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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