『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録04:28・29・30頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
掖邪狗(拘)は正しくは(?)
「ヨーナ・ジャナ・公」で、このジャ「ナ」とジャ「ロ」は
同じ「~の」という意味の助詞にあたる。
この助詞はあってもなくても同じだから、
石勒はジャナクのナがロに変化したもので、
石虎のジャコはナ、ロの部分が省かれたものだと、
音韻学的には説明がつく。
「ソヤロ」「ソウジャロ」「ソヤナー」「ソウジャナー」「ソヤソヤ」という
俗会話を持ち出すと、少しは理解の足しになるかもしれない。
しかし、人の会話(発音)の場合はそうであるとしても、
人の名として記録される場合には、
勒には琉球(の支配者だった)、という名乗りも含まれたものであって、
石虎も人為的に選択された当て字であることに気付く必要がある。
この文字を教えたのは倭人(列島人)側であった、とだけは言えそうである。
劉淵、劉聡、劉曜の場合も淵はフチ、フヂで葛(フジ)、百済(フジ)、聡は襲王(ソウ)、
曜はヨース、余氏、尾久島の名乗りを持っていて、彼らの生地や故地、出身地を示している。
曜の場合で言えば、哀邪本王の王子の妃は星久島で曜を生んだことになるから、
屋久島と関わりのある女性だったのであ
る。
「系図J」
3 4 5 6
_|末仇2 ━ 末仇3 ━ 末仇4(扶余王玄)∥
|末仇∥ 蜂上王 ∥ |石城別
休礼∥ |哀邪本嬢 ∥_|高奴子
|味鄒∥_|哀部本王∥_|哀邪本皇子 ∥ |サホ姫 ∥
光明∥ 玉姫 ∥ |水歯郎女(五十香彦の妃)
|室比古王∥ 屋久島の女性∥__|劉曜
張氏 ∥_|劉聡(四男)
E系図とJ系図の室比古王の列を並立させてみると、次のようになる。
2 3 4 5
仇道(剄頚) ∥ |末仇∥_|末仇2 ━末仇3
(伊声耆) _ 休礼∥ (比流王)304~344
息長水依姫 ∥ |味鄒∥ |室比古王∥
光明∥ 張氏 ∥_|劉曜(四男)
僕の「ホケノ山古墳の被葬者特定」という論考の中で、
味鄒=山代大国淵、室比古王=劉淵であることは解明してあるから、
陳舜臣前掲書p384に「劉淵の祖父於夫羅(オフラ)は、献帝の東帰を援け、
その居住地は中原からごく近いところだったのです」と
ある文章のオフラのルビはオフロと変更出来る。
オフロはオフロー(=イフロー=ユーロー=ギリシャ人)である。
仇道は烏越(慕容渉)にとっても祖父である(仇道━臣濆姑━烏越)。
どちらから見ても合うものは、それが真実の系着であることの証拠である。
ギリシャ人である伯固(紀妃の孝霊天皇)の息子はやはりギリシャ人である。
この人種の名は、後のオホド大公王(継体天
皇)になって復活(?する。
オホド=オホロ=オフロ=イフロ(意はイとオの南方の発音を持っている)=
ギリシャ(人)になるからである。
劉淵は大航海王味鄒の息子で、彼自身も航海王(船長、海軍大将)だったし、
彼は三世紀未に沿海州で人望を得て、
ついに皇帝になった(漢)=304~310年病没。
沿海州で人望を得た、彼は航海王(大商人=海商)というのなら、
南九州、瀬戸内海のみならず、日本海沿岸と半島、大陸を航海(交易)していたのである。
2002年1月12日各紙の報道は紙面の大きさと内容面の両面において、
実に濃淡の差があって、尽きない興味をそそられるものであったが、
その報道とは、石川県七尾市の「万行(まんぎょう)遺跡」に関してであった。
「ヤマト政権の支配がはやくも及んでいた」という
パターン通り(共同配信?)の解説の他に、
「ヤマトとは異なる独自の勢力が、
朝鮮半島から日本列島へ放射状に伸びる交易ルートのうちの
一つを担っていたのではないか」
(山尾幸久・毎日新聞)などのコメントが掲載されていた。
報道の通り「三世妃未~四世紀始め(の倉庫群跡)」の年代が正しいものならば、
どう考えてもこの時期、
この地域を航行していたのは室比古王(劉淵)たちの商船、軍船である
(劉淵は名前が確認される彼ら豪族連合の一代表者にすぎない)。
劉淵の父は畿内、大和に移住していて、
息子の室比古王も瀬戸内海を航海したから、
ヤマトと無縁ではないが、どうみても、
彼、(室比古王)がヤマト政潅の代表者だったと
位置付けるわけにはいかないではないか。
彼が大和政権なら、彼が「大陸で皇帝に推される」筈はない。
「ヤマトとは異なる独自の勢力」の表現の方が正しいのだと思う。
また、味鄒も大和政権ではない。
「方位は北極星を基準にした真北に沿っており」
「高度な測量、設計技術がうかがえる」とあり、
天御中主(金味鄒)の息
子の宗教観を反映している。
室比古王は若狭の耳別の祖であり、
若狭は秦氏の居住が濃厚に確認される地域である。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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