『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:19頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
「帯隈山と倭王」
次は、帯隈山についてであるが、
結論としては真浄が築造者だったのではないか、
ということであるから、
真浄が倭王であることは間違いないといえる
(茶臼山の茶臼はチャンスン=男将軍?)。
加治木義博著「邪馬壹国の言葉」(コスモ出版)の中に
「尾=隈=倭=ウアイ」という部分がある
(p190)から、帯隈➩隈帯➩倭帯で倭王になる
(少なくともそういう意味が含まれているといえる)。
黒住秀男他共著「古代日本と海人」(大和書房)p159によると、
吉野ケ里に近い霊山金立山
(徐福伝承で名高い、帯隈山遺跡に近い)の西方約三キロ地点に
大和町「有ノ木」という地名がある。
そこは有明海から嘉瀬川をさかのぼったところ。
海人がきた可能性が大きい、とある。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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