2014年7月1日火曜日

稲荷:黄金山信仰(1)稲荷山⑥


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:675頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(3)稲荷山⑥

  風土記「山城国」逸文の伊奈利社の伝承は

 以上のような背景から生まれたと思う。

 日本」古典文学大系「風土記」から転載する。


  風土記に曰はく、

  伊奈利と称(い)ふは、

  秦中家忌寸等が遠っ祖、伊呂具の秦公、

  稲粱を積みて富み

  裕ひき、もち、餅を用いて的と為ししかば、

  白木鳥と化成(な)りて飛び翔(かけ)りて山の峯に居り、

  伊禰奈利生ひき。

  遂に社の名と為しき。

  其の苗商に至り、先の過ちを悔いて、

  社の木を抜(ね)じて、

  家に殖えて祈り祭りき。

  今、其の木を殖えて蘇(い)きば福を得、

  其の木を殖えて枯れば福あらず。


  稲がなる(伊奈利)をその起りとしているが疑わしい。

 この伝承中から注意をひくのはかえって稲粱である。

 「粱」は諸本に「梁」とあると同書は注書きしているが、

 粱、梁ともその訓音はリョウ(liang)で、

 稲粱はイナリと読める。

 「粱」は「玄米を搗いて白くした米」、

 つまり精白米のことで、宇迦御魂に相応する。

 穀類の茎についているものを粱(あわ)というのが

 その精米過程である。

 「禾」を作りとする秦は耕地から穫られた種名である。

  精製して白く輝く米のイメージは「稲妻」、

 つまり雷電である「大杉」と結びつく、

 それがこの逸文の後半の「木」と係わる。

 稲荷社の信仰には

 稲荷神の顕現として「験(しるし)の杉」として

 禍福を占ったという。

 この杉木が蘇(い)き続けることは

 豊作をもたらす験であった。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 
 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱 

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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