2014年7月5日土曜日

インドラ神の影(3)佐原:側高神社②


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:684頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 インドラ神の影(3)佐原:側高神社②

  側高神社は現在鹿取神宮の摂社となっているが

 「カトリ」が佐原、諏訪と同義の第四位にして

 「空虚、天空」を表わす cutur が

 祖語であることを納得できるだろうか。

 この地はインドラ神の隠れた鎮座地なのである。

  側高神社名は、

 蘇羽鷹神社(松戸市三ヶ月)、素羽鷹神社(印旛郡栄町竜角寺)、

 祖波鷹神社(香取郡栗源町岩部)、などと表記され崇拝されている。

 そのうち埼玉県の東端に位置する

 吉川市に蕎高神社が二社鎮座している。

 その社地高久は佐原市の丁字と同じく ttika の転訛である。

 吉川市は江戸川を挟んで野田市と向い会っており、

 既述のように江戸川沿いにインドラ神信仰が広がっていたとの

 見解を補足説明するものである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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