2014年7月4日金曜日

インドラ神の影(2)佐倉:麻賀多神社


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:682頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 インドラ神の影(2)佐倉:麻賀多神社

  江戸崎町の同名地区の隣りに佐倉があり、

 佐倉神社が鎮座する。

 これは千葉県佐倉市名と同じであるが、

 「サクラ」はインドラ神の別称 sākra に依る。

 佐倉名は酒々井町にもみられるが、

 これらの地域に特徴的神社は麻賀多神社である。

 この「マカタ」はパーリ語の makkata を音写したもので、

 その意味は「猿」で、サンスクリット語では markata である。

 猿は猿田彦神名から採ったもので、

 「佐倉」であるインドラ神に対応する。

 佐倉市鏑木町の麻賀多神社近くには猿ヶ坂がある。

 麻賀多神社は成田市台方を本社として同市内に四社、

 佐倉市に内に十一社、酒々井町に二社、八千代市に一社、

 富里町に一社鎮座し、合わせ「麻賀多十八社」という。

 「マカタ」名は記紀の成立後、

 それらの古書により「猿田彦神」に因んで

 仏教を通じて入ってきたパーリ語の猿名を採って

 神社名としたものと考えられる。

 本社である成田市台方字稷(あわ)山の麻賀多神社は

 延喜式神名帳に「印旛郡一座小麻賀多神社」と載る。

 同社の境内摂社に猿田彦社があり、幸霊社がある。

 幸霊の「幸」は śaci でインドラ神の呼称であり、

 猿田彦社名と共に麻賀多神がインドラ神で

 あることが解かってくる。

 同社の鎮座地名稷山の「アワ」は、

 大神の「オホ」と祖語を同じくし、

 同社を創建したと伝えられる印波国初の国造

 伊都許利命の八代前の祖神八井耳命に始まる

 多氏に関係する。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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