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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:700頁
第十一章 日本に祀られたインドの神々
埼玉・鹿島:剣持神の国(4)稲荷山古墳と稲荷神社(2)
また、「稲荷」名は付いていないものの
墳丘に稲荷神社が祀られている古墳も多い。
その例を次のように上げている。
岡山市高松の壱五山古墳群、
茨城県石岡市の山崎古墳、
結城市の繁昌塚古墳、
滋賀県栗東町の宇和神社境内古墳、
京都市右京区太秦の天塚古墳、
西京区大枝東長町の福西古墳群、
京都府天田郡夜久野町折塚古墳。
このように多くの「稲荷」が祀られている理由が
「宇迦之御魂神・倉稲魂神」を神格としていないことは
容易に理解できるだろう。
現在の稲荷信仰には、
稲作の神、商売繁昌の神としての性格が強いが、
多くの古墳に名称が付けられた江戸時代前期以前には
別の想念が「稲荷」には強かったものと考えられる。
つまり、死して行く「彼岸」、天界の想念で、
諏訪山などの「スワ」、天塚などと共通する。
「稲荷」が sineru の転訛であることは
既述したところだが、
死後の世界「天界」の象徴である
スメル山(シネル山)の想念が
古墳に銘名させたものと考えられる。
仏教ではスメル山を須弥山、妙見山というが、
仏教の浄土に対する信仰が影響したと推測できる。
古墳に稲荷が深く係わっている状況は、
「イナリ」が sineru であることを傍証するものである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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