2014年7月29日火曜日

埼玉・鹿島:剣持神の国(5)稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:704頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(5)稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族

 ②多加利足尼

  第2代の名を「タカリスクネ」と読む見解もみられるが、

 これは「多(オホ)のカリ宿禰」と解読すべきである。

 その上祖「意富」を多氏と解する理由は、

 2代4代5代名の最初に「多」があるからである。

 足尼は宿禰と同義とみられるが「多加利(おおかり)」は

 ahas-kara で「太陽」を意味する。

 この ahas-kara は ahas-cari で

 cari は「動くこと、行」である。

 ここに窺われるのは日神崇拝者の系図である。

 ③弖已加利獲居

  第3代の名は「テシカリワケ」と訓ある。

 獲居は「別」と理解されている。

 「テシカリ」は trjo-kara の音写で「光輝のもの」で、

 これも「太陽」を表わしていると考えられる。

 ④多加披次

  第4代の名は「多のカワジ」と訓め、

 カワジはその語義を確定するのは難しいが、

 現在の埼玉郡川里村の「川」に係わるものと考える。

 というのも村内の地区名「広田(ひろた)」の祖語を

 「コウダ/コウチ」とすることができるからである。

 成田市台方の麻賀多神社のある地域公津(きみつ)は

 「コウチ」で、その隣りの江弁須は「カワジ」に近似する。

 「カウチ」は

 奈良県桜井市、明日香村などかっての大和国高市郡、

 大阪府の「河内」に通じ、古代の王朝所在地の地名に係わり、

 これらを考察すると「王族」ないし

 サンスクリット語の「城」を意味する koṭṭa 、

 セム語の kussi(王座)を祖語とする

 「城主」を表わすものとみられる。

 川里村広田の南には行田市埼玉のすぐ東に接し屈巣(くす)、

 さらに鴻巣があり、加披次の遺称ともみられる。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2014年7月28日月曜日

埼玉・鹿島:剣持神の国(5)稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族①上祖名意富比垝ⅱ

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:703頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(5)稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族①上祖名意富比垝ⅱ

  「オホ、ヲフ」の原義は何であろうか、

 それはサンスクリット語の aha で、

 「日、太陽、昼」を意味する。

 A- が「オ」と訓まれた実例は

 asi (険、刀)がオシ(忍)、

 asina (雷電)がオサノ(長野)となったことを述べたが、

 西アジアで

 ゾロアスター教の火(日)神 ahra-mazda (アフラマズダ) が

 紀元1世紀を超えて ohra-mazda (オフラマズダ)となった例を

 第7章メルッハとオフルで述べ、

 オフルとは aha と同義の ahar に依拠することを説いた。

 奈良県桜井市の地名粟殿及び粟原はそれぞれ

 「オオド」「オオハラ」と呼ばれており、

 「アワ」が「オオ」となっている。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年7月21日月曜日

 埼玉・鹿島:剣持神の国(5)稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族①上祖名意富比垝ⅰ

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:702頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(5)稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族①上祖名意富比垝ⅰ

  「意富」は古事記に特徴的な用語である。

 初見は上巻の 冒頭神代の記述に「意富斗能地神」と現れる。

 これに続いて「次に妹大斗乃辨神」とあるので、

 「意富」が「大」であることが判明する。

 次に伊邪那岐命の黄泉国降りに「意富加牟豆美命」、

 また中巻になって神八井耳命の後裔に「意富臣」とあり、

 崇神天皇条に

 「即ち意富多多泥古命を以ちて神主と為りて、

  御諸山に意富美和の大神の前をきたまひき」とある。

 このうち意富臣は『日本書紀』に「多臣」とあるほか

 「太、飫富、於保」とも表記される。

 鉄剣の刻銘「意富比垝」は「オホヒコ」と読まれており、

 この呼称は『古事記』の崇神天皇条に載る大毘古命、

 『日本書紀』の大彦命に当たると理解されている。


 『古事記』に

 「大毘古命を高志道に遣わし、

  其の子建沼河別命をば、東の方で十二道に遣はして、

  其の麻都漏波奴(まつろはめ)人等を和平さしめたまひき」と、

 いわゆる四道将軍の一人として

 北陸道から東国に派遣された人物名である。

 「意富」の訓音を太田亮の「姓氏家系大辞典」では

 「オホ」としているが、

 その訓音を移している「飫富」は「ヲフ」である。

 延喜式神名帳「上総国望陀(コウダ)郡」に「飫富神社」とあり、

 同社は現在の千葉県袖ヶ浦市飫富の飽富神社で、

 土地の古老は「オオノミヤ」と呼び鳴らしていたという。

 当地は和名類聚抄の上総国望陀郡飫富に比定されている。

 《参考》



 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 本生図と踊子像のある石柱

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年7月18日金曜日

埼玉・鹿島:剣持神の国(5)稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:701頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(5)稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族

  乎獲居臣、

  上祖名意富比垝、

  其児多加利足尼、

  其児名弖已加利獲居、
  
  其児名多加披次獲居、

  其児名多沙鬼獲居、

  其児名半弖比、

  其児名加差披余、

  其児名乎獲居臣


 稲荷山古墳から出土した

 金錯銘鉄剣の銘文の文字に含まれている

 抜刀人の系譜はこのように読み取られた。

 《参考》

  鉄剣・鉄刀銘文 - Wikipedia


 《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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埼玉・鹿島:剣持神の国(4)稲荷山古墳と稲荷神社(2)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:700頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(4)稲荷山古墳と稲荷神社(2)

  また、「稲荷」名は付いていないものの

 墳丘に稲荷神社が祀られている古墳も多い。

 その例を次のように上げている。

 岡山市高松の壱五山古墳群、

 茨城県石岡市の山崎古墳、
 
 結城市の繁昌塚古墳、

 滋賀県栗東町の宇和神社境内古墳、

 京都市右京区太秦の天塚古墳、

 西京区大枝東長町の福西古墳群、

 京都府天田郡夜久野町折塚古墳。

 このように多くの「稲荷」が祀られている理由が

 「宇迦之御魂神・倉稲魂神」を神格としていないことは

 容易に理解できるだろう。

 現在の稲荷信仰には、

 稲作の神、商売繁昌の神としての性格が強いが、
 
 多くの古墳に名称が付けられた江戸時代前期以前には

 別の想念が「稲荷」には強かったものと考えられる。

 つまり、死して行く「彼岸」、天界の想念で、

 諏訪山などの「スワ」、天塚などと共通する。

 「稲荷」が sineru の転訛であることは

 既述したところだが、

 死後の世界「天界」の象徴である

 スメル山(シネル山)の想念が

 古墳に銘名させたものと考えられる。

 仏教ではスメル山を須弥山、妙見山というが、

 仏教の浄土に対する信仰が影響したと推測できる。

 古墳に稲荷が深く係わっている状況は、

 「イナリ」が sineru であることを傍証するものである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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埼玉・鹿島:剣持神の国(4)稲荷山古墳と稲荷神社(1)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:699頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(4)稲荷山古墳と稲荷神社(1)

  さきたま古墳群には稲荷山、諏訪山、二子山、丸墓山といった

 名称が墳丘に付けられている。

 将軍名はその近くでは

 東松山市下野本に将軍塚古墳があるように

 武人である支配者を想像させる。


 二子山は前方後円墳、丸(墓)山は円墳を表わすもので納得できる。

 諏訪山名も東松山市にもあるようによく使われているが、

 稲荷(山)に至っては

 群馬県藤岡市白稲荷山古墳、

 千葉県市原市国分寺の稲荷台古墳など

 極めてたくさんの古墳名に使われている。

  「稲荷」名古墳は、

 山田知子が昭和58年12月に調査した報告によると

 全国35都道府県に189基があったという。

 最も多いのは群馬県の25基、次いで埼玉県20基、

 京都府13基、福島県・茨城県10基、宮城県・愛知県8基、

 千葉県・兵庫県7基、山梨県・静岡県に6基、

 東京都・岡山県・香川県5基などであった。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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2014年7月15日火曜日

埼玉・鹿島:剣持神の国(3)稲荷山古墳の鉄剣(4)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:698頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(3)稲荷山古墳の鉄剣(4)

  「刀を立てる」との概念は次のような解釈を誕む。

 延喜式神名帳に「前玉神社二座」とあることから

 祭神を二神と考え、その二神名をいろいろと推測してきた。

 その中に「前立命、忍立命」とする見解があった。

  これらは śakti(前) 、asi(忍) で

 双方とも「剣」であることは明白で「刀を立てる」意味となるが、

 「アシ立て」は「足立」であり、

 埼玉郡の南から現在の東京都足立区にまで広がる

 足立(あだち)郡の祖語となり、

 そこが抜刀人の勢力範囲であったことを示す。

 延喜式神名帳武蔵国足立(あだち)郡に載る足立神社

 (さいたま市西区飯田の同名社に比定)の

 訓音が「アシタテ」と符されている。

  稲荷山古墳の被葬者が、

 発掘記録によると礫槨の中に

 金錯銘鉄剣と共に太刀、鉾、矢の束、挂甲、馬具が出土し、

 それらの装身具から判断して武人であったことを覗わせている。

 また十程度の人物埴輪が出土しているが、

 そのうちの四体は武人埴輪である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハラフ期の土器について
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年7月14日月曜日

 埼玉・鹿島:剣持神の国(3)稲荷山古墳の鉄剣(3)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:697頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(3)稲荷山古墳の鉄剣(3)

  銘文を作らせた手獲居臣の系譜には意富比垝から

 八代に至るまで「杖刀人の首」として

 朝廷に仕えてきたといっている。

 「杖刀」とは刀を杖にするとも採れるが、

 ここでは「刀を持つ、刀を立てる」と理解する。

 つまり刀剣を持って王に仕えたのである。

 大相撲の横綱土俵入りの際露払いと共に

 「太刀持ち」を待するが、彼は太刀を右手に立てて持つ。

 この姿こそ杖刀人の象徴的形である。

 依って「杖刀人」は「剣持」で śakti-mat である

 「前玉」と同義である。

 直截的に理解すれば意富比垝に始まるこの一族は

 軍武の一族で、その氏族的性格から武神である

 「剣持神」を前玉神社に祀ったと考えられる。

 インドラ神は

 アーリア人がインド亜大陸に侵入してきた時の第一の武神であった。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 
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2014年7月13日日曜日

埼玉・鹿島:剣持神の国(3)稲荷山古墳の鉄剣(2)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:696頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(3)稲荷山古墳の鉄剣(2)

 文頭に「辛亥ノ年7月」の記述があり、

 これは471年、531年との二説があり、

 今のところ前者が有力である。

 「獲加多支歯大王」は「ワカタケル」と理解されて、

 「大長谷若建(ワカ)命」である雄略天皇に該当されている。


 銘文はその剣を「利刀」といっているが、

 その意味は「よく切れる鋭利な刀」である。

 稲荷山古墳の南方に利田(かがた)の地名があるが、

 これは利刀に因むと考えられる。

 「カガタ」は khakkhata の転訛で「荒々しい者」、

 雷鳴を表わす。

 和歌山市宮地区の国懸(くにかかり)神社の

 「懸」と同じで雷音神である。

 《参考》



 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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2014年7月12日土曜日

埼玉・鹿島:剣持神の国(3)稲荷山古墳の鉄剣(1)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:695頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(3)稲荷山古墳の鉄剣(1)

  行田市さきたま古墳公園にある稲荷山古墳より1968年に

 出土していた鉄剣から

 銘文が発見されたのは1978年のことである。

 銘文は115文字から成り、金象嵌されていたので、

 この剣を金錯銘鉄剣という。

 銘文の内容には、

 意富比垝から手獲居臣まで八代の系譜が記され、

 「世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左

  治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也」

 とある。

 「世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。

  ワカタケ(キ)ル(ロ)の大王の寺、シキの宮に在る時、

  吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、

  吾が奉事の根原を記す也。」

 というのがその下し文である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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埼玉・鹿島:剣持神の国(2)香取神宮と鹿島神社④

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 牛角と祝祭・その民族系譜:694頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(2)香取神宮と鹿島神社④

 京都市右京区太秦に鎮座する木島神社がそれである。

 延喜式神名帳葛野郡に載る木嶋坐天照御魂神社名神大である。

 同社の東側に太秦安井の地名があり、

 「安井」が木島 kṣema の意訳名であることが窺われる。

 このキシマが「カシマ」となったのである。

 「香」字が当てられたのは、

 紀伊国の紀氏関係で説明したように、

 同字が kha の音写で「天空、空虚」を表わし、

 風土記にある「天の大神」の「天」に相当するからである。

 「香」が「鹿」となり、鹿が神使いとされるようになったのは、

 鹿渡、鹿殿といわれる医薬神の系譜の信仰が入ったからである。

 風土記に載る香島郡の西側は「行方(なめかた)郡」で、

 「方」は鹿をいうもので行方は「鹿渡」と同義である。

  以上の内容から、祭神建御雷神が、

 前玉神、経津主神と同じ神格で、

 その祖像がインドラ神であることが明白である。

 鹿島神宮の周辺をみると、神敷の地名がある。

 「敷」は稲敷郡でみたように śuci の音写で

 「光輝」を表わし、「神敷」は雷光を表わす。 

 同神宮の北方に「猿田」、南方に「佐田」があるが、

 それぞれ「猿田彦」「佐田彦」名に依るもので、

 インドラ神の日本での尊名であり、
 
 鹿島神宮が同神名に係わる神格であることを示唆している。

 宮城県塩釜市の塩竈神社の祭神が、

 本殿の左宮に武甕槌神、右宮に経津主神、

 そして別宮に塩土老翁神であるが、

 インドの神インドラ神が日本において土着し、

 三つの神格に変化して奉祀されていることとなる。


 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
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