ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年1月5日土曜日
日本語の定義を変えた古代都市
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録37:6頁
《日本語の定義を変えた古代都市》
「日本語の定義を変えた古代都市」
これまで主題だったスサノオの故地・スサはフジスタン地方にあって、
アケメネス王朝の永田町=中央政庁の所在地。
真の首都といえる新市だったが、
国王は冬は暖かいバビロンにある冬宮に居り、
夏はエクバタナ(元メディア王国の首都)の夏宮に居るという状態で、
王の宮殿がある所が首都だとすれば、五つの首都があったことになる。
もう一つの首都は王朝の開祖・キュロス2世が建設し、
代々の王たちが即位式をした都で、
天皇家の京都にあたる儀式用都市・パサルダガエ(パルサ)。
そこから45kmの位置に、
さらに建設されたのが
ペルシャの国名のもとになった最大の都市・ペルセポリスで、
ここは外国からの客を迎えるための外交、交易用に、
いろいろな工夫が凝らされている。
たとえば都市の玄関に当たるのは西から東へ昇る階段で、
朝日に向かって登らされる仕掛けになっている。
すでに我が国の「日の国思想」と無閑係ではないことがわかる。
昇りきると大広間があり、
正面に石造牡牛座が2頭、
左右対照に置かれている。
神社の狛犬と同じ発想だ。
壁面には古代ペルシャ、アッカド、エラム3語で、
「余、クシャヤールシヤン王は
アウラマツダ大神のご命令に従い、この万国殿を建造した」
という碑文が彫ってある。
またこの宮殿の基礎の石面には
朝貢にやってきた国々の使節と献上物が延々と彫られている。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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