ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年1月21日月曜日
「美しい日本」は史実の常識化から
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録37:22頁
《「美しい日本」は史実の常識化から》
「「美しい日本」は史実の常識化から」
こう解ると、
スサノオの実体がさらに明確に理解できるし、
醜悪に見えたのは史実ではなくて、
神話化に原因があることも解る。
垂仁天皇と卑弥呼の事件が完全に読み取れるのに、
これが欠けていては『魏書倭人章』が読めたとはいえない。
真実の史実は卑弥呼が天照大神としてウバイド以来の
「絶対平和原則を守り通して自殺を選んだ、美しい歴史」だったことが、
明確に浮び上がってくる。
醜悪な印象どころか、
正反対の印象を与える悲劇だったのである。
これが奈良に行くと、卑弥呼だとされる箸墓の主は、
三輪山の大蛇に騙されて箸で恥部を突いて自殺した下司話にされてしまっている。
そこで実際に起こった住民の神=天皇家の事件なら、
こんなにまで内容が暴落することなど絶対にあり得ないし、
奈良は倭王・武=雄略天皇以後の倭国でしかない。
箸墓はその侵入者の先祖を祭る塚に過ぎないから、
そんな下らない話にして、
せめてもの腹癒せにしたのだと、読み取れなくてはいけない。
史実は垂仁天皇が表向きは壹與を女王に政権を握り、
武力国家を作って魏に対抗したのが、
侵略者「神功皇后」として汚点を残したに過ぎない。
世界の人々に、「美しい日本」を印象づけたければ、
全日本人が、こうした事実を常識化しなければならない。
それも迅速でなければならないと思うから、
拙速を顧みず本講をお読み頂いているのである。
《パーリ語辞典》
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