ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年1月13日日曜日
『天狗』が立証する古代文化の高さ
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録37:14頁
《『天狗』が立証する古代文化の高さ》
「『天狗』が立証する古代文化の高さ」
それに当て字した「田宮」が、
どんなに古い姓であるかも、
ここでよく肝に銘じておいて頂きたいが、
この当て字が、
またこの研究にとって非常に重要なキーになった
「天狗」という名を産み出した事実を見落としてはならない。
田はデンで、宮はクという読み方もある。
また我が国には、
百人一首のような清音流行時代があり、
その逆に何でも彼でも濁るのが良いとする人々も実在したので、
デンクをテンク、テングと発音した人々がいたのである。
「狗」も、その「ク」への当て字の一つで、
本来は稲作をする犬人を意味したが、
田を天に変えることで、
沖縄の天と、
屋久島の狗奴国と、
大隅隼人の犬とが合成されて、
実に見事な部族表現になった。
それはもちろん出身地も表現しているので、
彼らが瑞穂田宮(メソポタミヤ)からきた人達だと認識して命名したのである。
はるかな古代に、
こんな洒落た名前を作り出す、
高度の文化人たちが私たちの祖先だったことを、
これは見事に記録している。
猿田彦・天狗・兜布の問題は、
これでまた一つ、出身地と文化の動かぬ証言を加えたが、
そこは彼等の容貌や風俗、信仰や装具に至るまで、
どこから来たかを余さず教えており、
私たちがあらゆる角度から批判検討しても、
それが全て史実に合致する、
正確な記録だと確信させられる。
田宮と天狗の閑係は、
決して単なる偶然や駄洒落ではなかったのである。
《パーリ語辞典》
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