ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年1月12日土曜日
宮・田宮・岸・家はメソポタミヤ生まれ
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録37:13頁
《宮・田宮・岸・家はメソポタミヤ生まれ》
「宮・田宮・岸・家はメソポタミヤ生まれ」
メソボタミヤはギリシャ語名だから、
残るタミヤの語尾のヤは、
ギリシャ、イオニヤ、シリヤやイタリヤといった国々の名の語尾と同じもので、
「ia」だと簡単に解る。
このiaは、国、地域、住民を意味しているから、
日本語の「足・家」の語源でもある。
古代ギリシャ語が日本語化した中でも、
最もよく普及したポピュラーな単語である。
このタミヤという語尾をみると、
宮もまた家屋だから、
やはりこのギリシャ語の子孫だと解る。
この場合のミは、それが敬意の対象になっているから、「御・ミ」で。
御屋を意味する後世の造語だとわかる。
皇室関係の尊称に使われているのは、
御+ia=御国で、各宮家の所領を指していたのである。
しかしいずれにしても
我が国にメソポタミヤを知る人たちとギリシャ語を話す人達が、
入ってきてから生まれた名詞であることは決定的である。
ミヤの前に使われているタは、
助詞の津だとみると「○○津宮」になるが、
タミ+iaとみると民の国で、中華民国の民国になる。
また田宮は比較的多い姓である。
2大河に挟まれた地域は沼地が多く、田の原形がそこにあった。
田宮は水田農業の発祥の聖地の宮でもある。
すでにご存じの通り、
こうした名詞は自称ではなく、他人が付けた呼び名であるが、
便利なので自称にも使われる。
タミヤも様々な意味を加えながら我が国まで来たのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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