ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年1月28日月曜日
大夫は大天の誤読。役之行者もエンシ
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録37:29頁
《大夫は大天の誤読。役之行者もエンシ》
「大夫は大天の誤読。役之行者もエンシ」
これは、
我が国で神殿を祠(ほこら)というのは、
「穂倉」のことだったと教えてくれる。
ウキンは沖縄へ来ればウチナーで「沖縄」。
そこではウチナに大天と当て字している。
いまなら国会議員に当たるから官名である。
すると卑弥呼たちの使者が「大夫」と称していたと言うのは、
「大夫」と「大天」はそっくりだから、
この大天を写し間違えたのだと見た方がいい。
議員が親善外交に出張するのは、昔も今も当然な任務だからである。
ヤコブセン教授はこれらの状態から、
農耕国家群・スメルの政治牲、死活問題である灌漑事業や工事も、
皆、司祭が指揮して行なっていた。
その町村規模のものが発展・拡大すると、
近隣の神殿中心の組織が一つに合併して都市化し、
その経済力で防壁や宮殿などが新たに建設され、
強化されて都市国家に成長した。
その内の最も有力な勢力の氏神が国の主神になり、
その神の神官が
総理総裁に当たるエンシになり、ルガルになったのだと結論した。
このエンシという名称は、
役の行者を、古風に「役之」と書くと「エンシ」になるから、
役の行者というのは、行者の総裁という意味だったと解るし、
スメル語のenは主だから、意味は変わらない。
「役」の字もヤクと訓むと屋久、役人、役者などに絵び付き、
役者は俳優と書かれ、
俳は隼と同音で、鹿児島神宮は古代俳優=隼人の総元締めだった。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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