ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年1月15日火曜日
巨大規模だったスサ(スーサ)の王の来航
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録37:16頁
《巨大規模だったスサ(スーサ)の王の来航》
「巨大規模だったスサ(スーサ)の王の来航」
これほど我が国の古代文化に、
大きく影響したスサとは、どんな国だったのか?。
イラン西部を潤すケルカ河に沿って生まれたこの国は、
地下60mに遺物層をもつので、
現在から七千年前には人が住み、
ウバイド遺跡の古層が発見された湾岸戦争直前までは、
世界最古の文明発祥の地だとされていた。
事実、その先進文化は西に広がってチグリス河を越え、
都市国家群を次々に生み出しながらバビロンの大文明を作った。
我が国へ来たスサの王は、
決して大国に追われて逃げてきた小国の難民王ではなかったのである。
それは、紛争を恐れたのではなく、むしろ動乱の時代を予測して、
積極的に新天地に理想世界を築こうと、
人類始まって以来、誰も実行したことのない、
国家単位の巨大規模大遷都を決行したのである。
レバノン杉の移植も、
数名の王族が種を袋にいれて山に登り、
木切れで穴を掘って植えてまわったのではなく、
大規模な作戦計画に基づいて大船に杉の木を積んできて、
大勢の家臣たちが担いで登り、
技術的な植樹が行われたからこそ、
三千年を越えても繁栄を続ける植林事業が確実に根付いたのである。
それは彼等の都市国家革命が波及して出来たエジプト文明が、
あの巨大なピラミッド群を残していることで、すぐ推定できる問題でしかない。
また同行した人々も、スサ人だけではなく、バベルに至る各国民がいたのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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