ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月29日水曜日
国譲り交渉の経過と、飛んでもない場所への降臨
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:4頁
《国譲り交渉の経過と、飛んでもない場所への降臨》
《国譲り交渉の経過と、飛んでもない場所への降臨》
しかしその大物も、
直接関係のない地域である兵庫県尼崎市に大物(だいもつ)があるくらいで、
他にはなく、領地名とは考えられないし、
葦原醜男にも該当する地名などない。
醜男は軽蔑詞で、
これは敗者への呼び名であるとするしかないから、
アシハラだけが地名だが、
これも出雲と同じ日本海側ではあるが山陰ではない越前に、
芦原(あはら)がある位いのもので、
これは「豊葦原瑞穂の国」という「国家全体の総称」であることは間違いない。
だとすると、
大国主は豊葦原瑞穂の国「全体」を譲った前国王だったのである。
ではその瑞穂の国とは、
今の日本列島全体ではありえないから、
その内のどの地域だったのであろうか?。
国譲りの交渉に当たった武御雷男神(たけみかづちノお神)は、
出雲の国の伊耶佐の小浜(紀=五十田狭の小汀)に天降って大国主に迫る。
大国主は息子八重事代主に任せるといい、
八重事代主は国譲りを承諾するが、
もう一人の建御名方は抵抗して負けて逃げ、
科野の国の州羽海に追い詰められて降参、
国譲りを承諾したので大国主は出雲の多芸志に隠棲する。
この状況をそのまま受け入れると、
譲った国は本州だということになるが、
譲られた天孫・瓊瓊杵(ににぎ)の命は、まるで別世界の、
日向の高千穂の久士布流多気に降臨する。
そして笠紗の御前(みさき)で神阿多都比売、
別名・木花之佐久夜毘売と
結婚して日子穂穂手見命たちを生む。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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