ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月2日木曜日
世界最大の惨禍を生んだ『古事記伝』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録25:4頁
世界最大の惨禍を生んだ『古事記伝』
それは日本人の基礎教養の問題であって、すでによくご理解のとおり、
神話は史実であり、無根拠な空想の作品ではない。
それを明治以降、国民動員の口実にして、
神国日本といった絶対不敗の国を捏造した政治盗用サギ犯が、
当時の幼稚な国民教育用に、
「批判を許さない恐るべき神の話だ」として、
『記・紀』を彼等の利権維持用に悪用しただけのものである。
ところがそれが語る史実は、
奈良大和とは遠く離れた琉球や薩南諸島に、
古代の天皇家が実在したことを明確にする。
神武天皇東征もまたその事実を継承している。
本居宣長時代でも琉球は外国だったのだから、
そこからの侵入者が天皇家だというのでは、
天皇は渡来人で本来の日本人ではない。
単純な頭では我々は、
それ以来、占領されっ放しになっているのだということになる。
宣長が卑弥呼を「熊襲の女酋長だ」と断定したのは、
こうした意識下の劣等感を、
筆の力でネジ伏せようとした曲筆の動かぬ証拠なのである。
だから宣長は事実を知っていた。それを私観で曲げてしまった。
我々愚民は絶対不敗を盲信して、
政府のいうがままに困苦欠乏に堪えて軍国主義に協力し、
揚句の果に世界で唯一の原爆被爆国という惨禍の犠牲にされてしまった。
『古事記伝』こそ、
広島・長崎の被爆者たちを生んだ戦犯であることを心から痛感するからこそ、
私たちはその是正に日夜辛苦しているのである。
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