ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月28日火曜日
『神代巻』最大の謎・大国主は史実か?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:3頁
《『神代巻』最大の謎・大国主は史実か?》
《『神代巻』最大の謎・大国主は史実か?》
イザナギ・イザナミと三貴子の「名乗り」が、
現存する地名と明瞭に一致しているので、
その「名乗り」と地名が、
歴代の史実を記録していたことが確認できたが、
これによって、
これまで『神話』だと信じられてきた『神代』巻が、
本当は神話ではなく史実の断片だった事実を、
よくご納得戴けたと信じる。
この国生みと三貴子生みに続く、
もう一つの大神話群(しんわぐん)いわゆる『出雲神話』は、
国譲りの主神の名が「大国主尊」で、
名乗りというには余りにも漠然とした大国の王という代名詞に見え、
とてもイザナギのように多数の比定地が見つかりそうにもない。
これは『神代』巻が史実かどうかという問題の中でも最大の謎である。
徹底的に検討してみる必要がある。
『日本書紀』本文では、
素戔鳴(スサノオ)の尊が八岐の大虵を退治たあと、
出雲の清地(すが)で奇稲田(くしいなだ)姫と結婚して大己貴神を生んだと
書いてあるだけである。
これを武田祐吉博士は
「大は美称で。己はアナと読み、汝。貴はムチと読み尊称だ。約してオホナムチという」
と校註している。
しかしこの「ナ」は国称のナだから国、貴はキで王=大国王で大国主と同じものでしかない。
その大国主や大物主・葦原醜男といった別名は全部、『一書』にしか書いてないから、
本来の『原・日本書紀』にはなかった別名なのだということも重要である。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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