2012年2月18日土曜日

男女で異なっていたイサナの真意



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録25:23頁

 《男女で異なっていたイサナの真意
 《男女で異なっていたイサナの真意

 履中天皇の場合も、イザナキは語源とは異なった意味に使用されている。

 彼は応神大皇の孫であり後継者なのだから、

 仏教徒の天皇だったことは動かない。

 国民からイザナキと呼ばれても、自分をシバの化身だなどと思うはずがない。

 それが事実だったことを証明する証拠が、

 彼の巨大古墳のある堺市に、地名として残っている。

 応神天皇が2人の神功皇后=卑弥呼か壹與か、どちらの子孫であっても、

 金髪のギリシャ系の血を引いていたことは動かない。

 今も京都の松尾神社や東寺などの神宝の女神像として残っている彼女らの木像は、

 御存知のようにイシス像を聖なる規範として造られている。

 イサ・イザは石の別名だったのだから、このイシスが役に立ったのである。

 彼等は女王をイシズと呼び、それに石津と当て字した。

 その遺跡が堺市の石津町である。

 石=イサ、津=ナである。

 ここまでわかると岐・美2神の「男尊女卑」説話が、何を意味していたか?
 
 という大学院講義録24号でお話しした結論が、

 どんなに正しかったかが、改めて強く真実だと確認できる。

 イサナ王はシバを意味していた、

 彼は破壊の神として知られる恐るべき宇宙の支配者だ。

 イサナ女王は女神イシスを理想とする卑弥呼らの守護陣で、

 不殺生、慈悲、愛の仏教の象徴である。

 ご説明するまでもなく、それは戦争と平和との2大象徴だったのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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