ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月18日土曜日
男女で異なっていたイサナの真意
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録25:23頁
《男女で異なっていたイサナの真意》
《男女で異なっていたイサナの真意》
履中天皇の場合も、イザナキは語源とは異なった意味に使用されている。
彼は応神大皇の孫であり後継者なのだから、
仏教徒の天皇だったことは動かない。
国民からイザナキと呼ばれても、自分をシバの化身だなどと思うはずがない。
それが事実だったことを証明する証拠が、
彼の巨大古墳のある堺市に、地名として残っている。
応神天皇が2人の神功皇后=卑弥呼か壹與か、どちらの子孫であっても、
金髪のギリシャ系の血を引いていたことは動かない。
今も京都の松尾神社や東寺などの神宝の女神像として残っている彼女らの木像は、
御存知のようにイシス像を聖なる規範として造られている。
イサ・イザは石の別名だったのだから、このイシスが役に立ったのである。
彼等は女王をイシズと呼び、それに石津と当て字した。
その遺跡が堺市の石津町である。
石=イサ、津=ナである。
ここまでわかると岐・美2神の「男尊女卑」説話が、何を意味していたか?
という大学院講義録24号でお話しした結論が、
どんなに正しかったかが、改めて強く真実だと確認できる。
イサナ王はシバを意味していた、
彼は破壊の神として知られる恐るべき宇宙の支配者だ。
イサナ女王は女神イシスを理想とする卑弥呼らの守護陣で、
不殺生、慈悲、愛の仏教の象徴である。
ご説明するまでもなく、それは戦争と平和との2大象徴だったのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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