ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月16日木曜日
大己貴は「倭国(オオナ)持ち」で難升米=綏靖天皇
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:20頁
《大己貴は「倭国(オオナ)持ち」で難升米=綏靖天皇》
《大己貴は「倭国(オオナ)持ち」で難升米=綏靖天皇》
『魏書倭人章』は、その東にも「不弥国」が生まれたことを記録していた。
それは明かに豊前・フーミーで、豊・ホウ、前・マエを「フーミー」と
発音する沖縄・大隅語の名である。
この2国を書く起点になったのは伊都国。
これは「倭・イの都だから、都=ツ・ト」国とみると、
「イ=葦、都=原」で、中ツ国=中津国。
ちょうど牛津(1)から中津(2)(大分県)が
「葦原中国」と書かれた地域にピッタリ合う。
そこは間違いなく卑弥呼政権が崩壊した後、
壹與たちが本拠を構えた香椎
(カシー=愛。仲哀・神功を合祀した香椎廟がある)のある、
のちの「白日別の国」で、壹與を初代の王・赫居世とする「新羅」の国だ。
だから、経津主と熯速日が大己貴に要求したのは、この白日別地域で、
大己貴は「倭国(オオナ)持ち」という代名詞だったのである。
それは在来の学者が考えていたような一個人の名でも名乗りでもなかった。
壹與当時のそこの支配者は、難升米以外にはない。
彼は神渟浮名川耳(ナンセンミ)尊=綏靖天皇である。
彼の跡を継いだのは安寧天皇。
この天皇は「大間宿祢の娘・糸井姫」を皇后にしている。
「地図」
「葦原中国」:牛津(1)から中津(2)
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