2012年2月16日木曜日

大己貴は「倭国(オオナ)持ち」で難升米=綏靖天皇



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録26:20頁

 《大己貴は「倭国(オオナ)持ち」で難升米=綏靖天皇
 《大己貴は「倭国(オオナ)持ち」で難升米=綏靖天皇

 『魏書倭人章』は、その東にも「不弥国」が生まれたことを記録していた。

 それは明かに豊前・フーミーで、豊・ホウ、前・マエを「フーミー」と

 発音する沖縄・大隅語の名である。

 この2国を書く起点になったのは伊都国。

 これは「倭・イの都だから、都=ツ・ト」国とみると、

 「イ=葦、都=原」で、中ツ国=中津国。

 ちょうど牛津(1)から中津(2)(大分県)が

 「葦原中国」と書かれた地域にピッタリ合う。

 そこは間違いなく卑弥呼政権が崩壊した後、

 壹與たちが本拠を構えた香椎

 (カシー=愛。仲哀・神功を合祀した香椎廟がある)のある、

 のちの「白日別の国」で、壹與を初代の王・赫居世とする「新羅」の国だ。

 だから、経津主と熯速日が大己貴に要求したのは、この白日別地域で、

 大己貴は「倭国(オオナ)持ち」という代名詞だったのである。

 それは在来の学者が考えていたような一個人の名でも名乗りでもなかった。

 壹與当時のそこの支配者は、難升米以外にはない。

 彼は神渟浮名川耳(ナンセンミ)尊=綏靖天皇である。

 彼の跡を継いだのは安寧天皇。

 この天皇は「大間宿祢の娘・糸井姫」を皇后にしている。

 「地図」

 「葦原中国」:牛津(1)から中津(2)

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 《参考》
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