ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月23日木曜日
この講座の本務は解読技法の研鑽
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録25:28頁
《この講座の本務は解読技法の研鑽》
《この講座の本務は解読技法の研鑽》
では『記・紀』は、それぞれ何を主張しているのか?。
それを確認すれば、
『記・紀』がどんな目的で書かれたかを最終的に定義できる。
なぜなら、どんな主張でも冒頭に強く意志が漲っていて、
最後の部分で総括して結論するものだが、
この『国生み・3貴子生み』は、その冒頭であって、
しかも後から加上された「結論」部分でもあるからである。
ただ比較する前に注意がいるのは、
『日本書紀』には本文のほかに『一書』が多数編集されているが、
その中に『古事記』に酷似したものが入っている。
だからそれを『日本書紀』として扱うと、
双方同じ内容ということになり、
比較しても何にもならない。
この『一書』混入は持統天皇の妥協の産物で、
その時『日本書紀』の性格も変わってしまったのだから、
私が今お話ししている本来の性格の差は、
『一書』追加前の『原・日本書紀』(本文)だけを『古事記』と比較したものである。
これを見るとこれまでみた舎人親王の編集と加上との実態が、
さらに精細に理解できる。
こうして精密に分析して初めて『記・紀』は批評でき、判定できるのである。
それなしで批判するのは形だけで実体がない。無意味というはかない。
この講座は『記・紀』解読を教材として使ってはいるが、
謎解きが本務ではなく、
解読技法をご一緒に研鑽するのが目的である。
ここで改めて申し添えておく。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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