2012年2月9日木曜日

イザナギ地名文化財が示す東征経路



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録25:14頁

 イザナギ地名文化財が示す東征経路
 イザナギ地名文化財が示す東征経路

 また、このイザナギの名乗り関連地名は、

 その分布によって「移動経路」を記録している。

 これだけみてもこの地名群は、

 出土土器とは比べ物にならないはど明確に歴史を

 復元させる真重な文化財だとわかる。

 それはどんなふうに、天皇たちの東征経路を記録しているか?。

 まず目だつのは山口県の数の多さである。

 しかし中国地方はその後がとぎれる。

 わずかにある広島のものも、

 宮島町とは古来「安芸の宮島」として周知の厳(いつく)島のことで、

 旧官幣大社・厳島神社があるから、伊勢は女神に付随した信仰上の地名で、

 イザナギに直接関係がないことは察しがつく。

 すると異常に多い山口県の4地名は、九州の延長線上のものであることがわかり、

 東征経路とは無関係だと断定できる。

 当時は山口県までが勢力下にあったということなのである。

 これは九州の22件に加えて26としたほうがいい。

 すると残る経路は四国しかない。

 これまで多くの角度から確認してきた

 「倭の五王=仁徳天皇系皇朝」の東征経路は、

 このイザナギ地名でもまた明瞭に

 『史実』だという保証を加えたのである。

 それはまず愛媛県の宇和町に入る。

 ここは大倭之国(ウワシマ)を意味する宇和島の発祥の地である。

 そして高知・香川に分布して、徳島で濃厚になる。

 これは仁徳天皇が大雀(さざき)=阿波・讃岐の名乗りをもつ事実からみて、

 それ以前の天皇自身の所領だったのである。


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