2012年2月10日金曜日

定義 後世の巨大古墳は「神社」の祖形である



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録25:15頁

 定義 後世の巨大古墳は「神社」の祖形である

 その阿波から、

 大鳴門橋のかかっている狭い鳴門海峡を挟んだ対岸は、

 もう淡路島である。

 そこにイザナギを祭る神社の総本社・伊弉諾神社がある。

 この事実から経路はおろか、それ以上のことが明確にわかる。

 四国では皇子にすぎなかった伊邪木(イザナギ)和気の命は、

 淡路島で天皇・履中として君臨したのである。

 だから伊弉諾神社の原型だった古墳は、本当の履中天皇陵以外にはあり得ない。

 すると従来、履中天皇陵だとしてきた堺市の百舌鳥耳原南陵は、

 隣接する中陵・仁徳天皇陵とともに、

 後世になってから倭王・興=安康天皇(百済・蓋鹵(コウロ)王)が造営した

 「礼拝用の建造物」にすぎないことが、決定的になる。

 このことは淡路島の履中陵が天皇を葬った墓地であるのに対し、

 後世に造られた巨大古墳群は、礼拝用建造物であるという、

 その性格からみて、

 同一人物を祭る神社が複数実在することの確かな「神社」に相当するもので、

 神社の祖形であると定義しなければならない。

 すると「神社神道」の実態が明確に姿を現わす、

 それは蓋鹵王がなぜそんなものを造ったかが、

 『三国史記』の「百済本紀」に、高句麗の間者僧に騙されて、

 その教えを信じて建造に走ったと明記されているからである。

 高句麗は卑弥呼を出した孝霊天皇たちの領地であり、多くの古墳群をもつ。

 それらは総て仏教の遺跡であり、神社もその子孫だったのである。


 『My ブログ』
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」         

 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
コメントを投稿