2012年2月26日日曜日

『記・紀』は倭国と日本の2国の『正史』



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録25:31頁

 《『記・紀』は倭国と日本の2国の『正史』
 《『記・紀』は倭国と日本の2国の『正史』

 百済は、天智天皇=金春秋が半島百済を滅ぼしたあと、

 本国の大阪百済まで滅ぼしたから、新羅とは仇敵中の仇敵である。

 かつては魚をトーテムにするイオニヤ人だった人たちの中で、

 最も大きかったグループ、

 それが百済だったから、

 鯨が最大の魚として扱われていたことは想像にかたくない。

 <クダラ>と<クジラ>が共通だったことは、

 百済の尺度が「鯨尺」と呼ばれている事実でも納得がいく。

 その百済の当て字が<モズミ>と読まれて、百舌鳥耳と当て字された土地に、

 仁徳・履中2天皇陵が現存している。

 『原・日本書紀』が嫌い、憎んだのが何だったかを、これも明瞭に物語っている。

 百済倭国は鯨なみに超大国化していたのである。

 新羅は<シラギ>で南九州語では<ヒラキッ>。

 開聞とか枚聞と当て字して薩摩に首都跡が実在している。

 その鹿児島県全域が『旧唐書』の記録した

 「もと小国の日本」の記載に全国でただ1か所だけ合う。

 その王家もまた福岡の白日国、半島の新羅という壹與以来の領地をもち、

 倭国の地方ではないが、倭国連邦の一員として、

 倭国に人質を送り、政治に参画していた。

 その政情は江戸時代まで続いた封建制度と、ほとんど変わらない。

 大化改新に登場する中ノ大兄ノ皇子とは、

 福岡の古名「那珂」を領地にもつ「日本国の大兄皇子」という意味である。

 『古事記』と『日本書紀』の原本は、もともとこの2国の『正史』だったのである。

 『参考』
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