ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月26日日曜日
『記・紀』は倭国と日本の2国の『正史』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録25:31頁
《『記・紀』は倭国と日本の2国の『正史』》
《『記・紀』は倭国と日本の2国の『正史』》
百済は、天智天皇=金春秋が半島百済を滅ぼしたあと、
本国の大阪百済まで滅ぼしたから、新羅とは仇敵中の仇敵である。
かつては魚をトーテムにするイオニヤ人だった人たちの中で、
最も大きかったグループ、
それが百済だったから、
鯨が最大の魚として扱われていたことは想像にかたくない。
<クダラ>と<クジラ>が共通だったことは、
百済の尺度が「鯨尺」と呼ばれている事実でも納得がいく。
その百済の当て字が<モズミ>と読まれて、百舌鳥耳と当て字された土地に、
仁徳・履中2天皇陵が現存している。
『原・日本書紀』が嫌い、憎んだのが何だったかを、これも明瞭に物語っている。
百済倭国は鯨なみに超大国化していたのである。
新羅は<シラギ>で南九州語では<ヒラキッ>。
開聞とか枚聞と当て字して薩摩に首都跡が実在している。
その鹿児島県全域が『旧唐書』の記録した
「もと小国の日本」の記載に全国でただ1か所だけ合う。
その王家もまた福岡の白日国、半島の新羅という壹與以来の領地をもち、
倭国の地方ではないが、倭国連邦の一員として、
倭国に人質を送り、政治に参画していた。
その政情は江戸時代まで続いた封建制度と、ほとんど変わらない。
大化改新に登場する中ノ大兄ノ皇子とは、
福岡の古名「那珂」を領地にもつ「日本国の大兄皇子」という意味である。
『古事記』と『日本書紀』の原本は、もともとこの2国の『正史』だったのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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