ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月11日土曜日
神道は中国仏教以前のラマ教系原始仏教の子孫
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録25:16頁
神道は中国仏教以前のラマ教系原始仏教の子孫
こう確認できてみると、
「卑弥呼のために大陵を築いた」という『魏書倭人章』の記録が、
卑弥呼の宗派の産物で、仏教起源のものだったことが確実になる。 ′
では仏教と古墳は、どんな繋がりをもっているのだろう?。
それはインド・サーンチーにある
巨大なストゥーパ(卒塔婆)が一目瞭然に教えてくれる。
それだけでなく、それそっくりの構造をもった巨大古墳がある。
大阪府羽曳野市にある応神天皇陵である。
その江戸時代の写生画を見ると、円墳の頂上に、
サーンチーのストゥーパと全く同じ石塔が建っている。
そして応神天皇は別名・八幡大菩薩という仏号で呼ばれている。
どこからみても仏教徒なのである。
その八幡様を祭る神社が全国にある。
しかし、神主が被る烏帽子や、礼拝形式や、
祭具がどうみても仏教の禿頭や読経や梵鐘を打つ様式と余りにも違い過ぎている。
これは今の私たちの常識が中国経由で入ってきた仏教だけしか知らないからである。
インドに最も近いチベットやネパールの仏教は、
間違いなく烏帽子を被り、
日本の神社で打ち鳴らす打太鼓(だだいこ)を打って、
祝詞(のりと)そっくりの経文を唱える。
この打太鼓(だだいこ)は今の天皇家の宮中のものと構造も装飾も全く同じである。
それが千年以上も昔に分かれたとは信じられないほどだ。
これが卑弥呼仏教の正体であり遺物なのである。
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