ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月14日火曜日
経路外の地名分布は何を意味するか?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録25:19頁
経路外の地名分布は何を意味するか?
話をイザナギの東征経路に戻すと、
南九州から北上して大分から四国へ渡り、
東端の阿波から淡路島へ渡ったコースは動かないことが重ねて確認できた。
これはすでにウサギという仁徳天皇の別名でも確認済みのコースだった。
それをイザナギの名乗り地名が、さらに重ねて立証したのである。
当然なことだが『史実』は正しい文化財を遺すのである。
するとその周辺に残っている関連地名は何を記録しているのだろうか?。
それをもう一度見てみることから始めよう。
近畿地方には
39 伊弉諾神社(兵庫県・津名郡・一宮町)が到着点だとすると、
そこから広がった形にみえる次の地名が分布している。
36 伊勢 (兵庫県・芦屋市) イセはイサの南九州訛り。
37 伊佐口(兵庫県・氷上郡・氷上町) イサコと読んでイサ木だった可能性がある。
38 伊佐 (兵庫県・養父郡・八鹿町) 伊佐ナ王=イサナキ。」
の3か所があり、その延長線上に、さらに中国地方に入っている
28 石井垣(鳥取県・西伯郡・中山町) イシガキの訛化とみると石垣と同じ。
がある。
これらは
九州→四国→淡路島→大阪→奈良という倭の五王コースに入るのであろうか?。
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