ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月8日水曜日
イサナギ=伊声耆が致命傷の邪馬台国大和説
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録25:13頁
イサナギ=伊声耆が致命傷の邪馬台国大和説
その反対に『記・紀』が、ともに揃って、
瓊瓊杵(ニニギ)の命が始めて天降った地域が鹿児島県下だったとしていることが、
どんなに正しく史実を反映しているか、再確認できる。
天も海もともにアマと発音するのは、
奄美(アマミ)も天海と当て字できることで、
南西諸島から沖縄海域がアマだったことを立証している。
その海域に、
イザナギの名乗りに最も近い伊是名島が現存し、
その周辺から鹿児島本土に、
それから転訛した地名が濃厚に分布していて、
分布1の奈良県と余りにも明瞭な対照を見せている。
これは伊声耆の記録とともに、
「親魏倭王」と明記された卑弥呼の国・倭国とそれを継いだ邪馬壹国とが、
「南九州」以外にはなかったことを、明確に裏付けしている。
また神武天皇以前の歴史である『海幸・山幸』は、
海のない奈良県では考えることもできない記事であるが、
敗者が隼人になったという記事のとおり、
隼人町以南の海域は伝承通りの条件を揃えている。
なのに卑怯にも大和説論者はこれらの都合の悪い記事は無視するか、黙して語らない。
それは実在しない邪馬臺をヤマト=奈良だと思い込んだ先入観に、
ガンジ絡めになっているからである。
すると大和説は日向から出発したという
神武東征を「絶対的な史実」と認めるしかない。
天皇家の南九州発祥には、絶対に反対できないのである。
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