2012年2月25日土曜日

徹底してイザナキを嫌った天智天皇の『日本書紀』



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録25:30頁

 《徹底してイザナキを嫌った天智天皇の『日本書紀』
 《徹底してイザナキを嫌った天智天皇の『日本書紀』

 『原・日本書紀』は、倭の五王系の国生みを否定していたのである。

 それは代々のイザナキの当て字にも明瞭に現われている。

 履中天皇の名乗りをみると

 『古事記』の伊邪木和気ではすぐイザナキだとわかるので、

 『日本書紀』は、わざわざ難しく去来穂別と書く。

 垂仁天皇皇子のイザナキも、

 『古事記』は印色入日子だから印色はイシキと読めるのに、

 『日本書紀』は五十瓊敷入彦で、これがイザナキとはとても思えない。

 ところが鹿児島市の伊敷神社は祭神を印色入日子と書くから、

 イシ=石=イサ、助詞のナ、キと、すぐイサナキに復元できる。

 すると崇神天皇の五十瓊殖も、殖はシキだから五十瓊は印=イ、

 やはりイシキが本当の名乗りで、崇神天皇もイザナキだったことがわかる。

 この事実は、『日本書紀』が、イザナキが世襲の名乗りであることを、

 できるだけ隠して、できれば抹殺しようとしたことを、僅かな例をとらえても、

 こんなに揃った証拠があがって、完全に暴露してしまったということなのである。

 では、何故?天智天皇はそんなにイザナキを嫌ったのか?、

 それを探ってみよう。

 イサナはシバの名が語源だったが、

 我が国の古語では勇魚と当て字して「鯨」の別名として使っている。

 イサナ=鯨なのである。

 それなら百済もクジラを意味するから、答が見える。

 『参考』
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