2012年2月19日日曜日

「不殺生戒」論争だった「天の御柱めぐり」



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録25:24頁

 《「不殺生戒」論争だった「天の御柱めぐり」
 《「不殺生戒」論争だった「天の御柱めぐり」

 この極端に対立する人類の理想と現実は、

 21世紀を迎えても原始時代そのままに、

 宿命的に困難な大問題中の大問題として、

 未だに未解決のままである。

 仏教立国の履中天皇時代には、

 天皇と女王との間に当然横たわる、

 深刻な対立問題だったと断定して間違いない。

 なぜなら不殺生が至上命令の仏教徒だった履中天皇が、

 同じ倭王だった武の上表文を見ると、

 「祖禰(そでい)(父祖。だから履中天皇もその1人)は、

  身に甲冑をまとって寧処(休む所)にいる暇もなく戦い続け」と明記している。

 不殺生戒(ふせっしょうかい)の理想を実現するために、

 戦って相手を殺す、

 という矛盾が問題にならなければ。

 2神の男尊女卑問題は発生しなかったのである。

 それは在来の学者が解説してきたような、

 男性上位か女性上位かといった野蛮な駆け引きではない。

 仏教を広め新しい統一国家を建設するためには、

 「教義を超えて武力を行使することも、やむをえないlという履中天皇と、

 「いや不殺生・慈悲の、み教えに背く戦争は絶対に許されない」

 という皇后との深刻きわまりない政治哲学論争だったのを、

 そのまま理解できない人々のために、

 万人がわかる比喩、庶民が興味をもって耳を傾ける寓話、

 性的なお伽話として脚色してしまったのである。

 これを「日本神話は幼稚だ」と海外の定評にしてしまった責任者は誰か?、

 ご追及戴きたい。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

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 《参考》
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 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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