ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年2月20日月曜日
奇妙な二重構造になっている3貴子生み
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録25:25頁
《奇妙な二重構造になっている3貴子生み》
《奇妙な二重構造になっている3貴子生み》
「国生み」
伊耶那岐・伊耶那美2神の事跡は、何といっても<「国生み」/a>である。
ところがこの国生みが奇妙な二重構造になっている。
『古事記』は伊耶那岐が天沼矛を使って淤能碁呂(オノゴロ)嶋を得、
伊耶那美と共に天降って、
そこを天之御柱と八尋殿に見立てて子供を生むが、
その水蛭子(ヒルコ)は葦船に乗せて流し捨て、
淡嶋という子供も子の内に入れなかった。
そこで柱巡りをもう1度、男性主体に変えてやり直すと、
今度はうまく行って、
淡道之穂之狭別嶋、伊豫之二名嶋、筑紫嶋、伊岐嶋といった順に国々が生まれる。
これが淡道をアワジと読んで淡路島のこととし、だから淤能碁呂嶋も淡路島か、
その付近の島だとして、淡路島に伊弊諾神宮がある理由にしている
「大阪湾国生み」であることは、すでにこの講座で細部まで検討ずみなので、
後は省略するが、
私たちは、このイザナキが履中天皇だったことを突き止めて、
史実を細部まで熟知することができたのだった。
ところが『日本書紀』は、天瓊矛で磤馭盧(インギーラ)島を得、
そこに天降ってその島を国の中心柱として左右から回って声をかけると、
イザナキは不愉快で、方法を逆にして淡路洲を胞にしてみたが、
やはり不快だったので「吾恥(あは)じ」=淡路(あはじ)というのだと、
淡路に対する反感を露わにしていて、同じ淡のつく淡島を追放したというのと、
共通していることに注意がいる。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
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ネット歴史塾
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「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
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