2012年1月30日月曜日

筆者は人長ではない。太安萬侶の実体は僧侶



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:32頁

 筆者は人長ではない。太安萬侶の実体は僧侶

 その人物には『正史』を書こうという意欲はなかった。

 それよりも手早く完成して、

 それでいて大衆向きがよくて、ベストセラーになるほうがよかった。

 それが『日本書紀』の七面倒な内容に比べて、

 『古事記』は歌づくしと言いたいほど歌謡を多用し、

 名乗りもみな読みガナ式に直し、

 事件を興味本位に要約している理由だ。

 だから先に彼は反体制家だと言ったが、それは仕事上のことで、

 彼自身が筋金入りだったわけではない。

 スポンサーの200氏族が掲載を要求した記事がそうなっていたのである。

 記事の出所(でどころ)は様々であり、書体もかわり、

 名乗りや地名の当て字も同じページでさえ異なっているのがある。

 ろくに校正もできなかったほど忙しかったことがわかる。

 このことが証言するのは、

 その筆者は多ノ人長ではないという事実である。

 彼はもっと神経質な学者タイブの人物である。

 校正もせずに世に出すようなまねはしない。

 では誰が本当の編集者か?

 それは会員の皆様に残された興味深々の課題である。

 しかしあれだけの漢文をこなした学識は普通ではない。

 どういう種類の人だったかわかっている。

 太安萬侶は「太=フト」で浮屠(フト)は僧侶、

 「安萬=アンマン」でヨルダンの首都名で、彼の姓。

 「アンマンという僧侶」が、

 従四位にのぼった人物の本来の実体だったのである。

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