ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年1月30日月曜日
筆者は人長ではない。太安萬侶の実体は僧侶
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:32頁
筆者は人長ではない。太安萬侶の実体は僧侶
その人物には『正史』を書こうという意欲はなかった。
それよりも手早く完成して、
それでいて大衆向きがよくて、ベストセラーになるほうがよかった。
それが『日本書紀』の七面倒な内容に比べて、
『古事記』は歌づくしと言いたいほど歌謡を多用し、
名乗りもみな読みガナ式に直し、
事件を興味本位に要約している理由だ。
だから先に彼は反体制家だと言ったが、それは仕事上のことで、
彼自身が筋金入りだったわけではない。
スポンサーの200氏族が掲載を要求した記事がそうなっていたのである。
記事の出所(でどころ)は様々であり、書体もかわり、
名乗りや地名の当て字も同じページでさえ異なっているのがある。
ろくに校正もできなかったほど忙しかったことがわかる。
このことが証言するのは、
その筆者は多ノ人長ではないという事実である。
彼はもっと神経質な学者タイブの人物である。
校正もせずに世に出すようなまねはしない。
では誰が本当の編集者か?
それは会員の皆様に残された興味深々の課題である。
しかしあれだけの漢文をこなした学識は普通ではない。
どういう種類の人だったかわかっている。
太安萬侶は「太=フト」で浮屠(フト)は僧侶、
「安萬=アンマン」でヨルダンの首都名で、彼の姓。
「アンマンという僧侶」が、
従四位にのぼった人物の本来の実体だったのである。
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