ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年1月29日日曜日
反政府文書『古事記』のスポンサーは200氏族
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:31頁
反政府文書『古事記』のスポンサーは200氏族
では誰が?、
いつ?、『古事記』を編集したか?が、
その記事でわかるのであろうか?。
残るページで『古事記』の記事全部を検討するわけにはいかないから、
それに匹敵する証拠をご先にいれて、この間いにお答えすることにしよう。
『古事記』には200以上の氏族の出自や由緒が書いてある。
そこに書かれた人々は一応名門だということになる。
いまからみれば人権無視の蛮行だが、
名も無き百姓にはヨダレの出るような境遇だとされていた当時の社会では、
実利の面からいえばそこに掲載されていることが非常に有利であったことは間違いない。
正○位、従○位まで行かなくても、
舎人ぐらいでも肩で風を切っていた時代である。
『古事記』が勅撰になる『正史』かどうかで、
その風の切れ方が違ったことは想像に難くない。
こういう視点からみると
『古事記』は後の『新撰姓氏録』の走りである。
勅撰文書ではない。
だれが書いたか?それは200氏族の敵ではない。
それを手馴づけようとした舎人親王か、
200氏族をスポンサーにした紳士録屋かのいずれかである。
もっとも『日本書紀』も氏族を紹介はしているが、
その数は100氏にも満たない。
舎人親王が『紀』を奏上したあと、
新たなスポンサーの要求に答えて誰かに編集させた可能性が強い。
ところがその誰かが親王以上に反体制思想家だったのである。
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