2012年1月9日月曜日

『日本書紀』作成の発案者は天智天皇

ウワイト(倭人)大学講義録

『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:11頁

『日本書紀』作成の発案者は天智天皇
『日本書紀』作成の発案者は天智天皇/a>


 天智天皇は9年2月に『戸籍』を作らせた、


 これは「庚午年籍(こうごねんせき)」と呼ばれて、

続日本紀

日本後記

新撰姓氏録』などにも多出。

後世の姓氏制度の原本になり、今の戸籍制度の初めになった。

それは現代に及ぶ支配階級の族籍原簿としてもいまだに生きている。

これは『日本書紀』には記載されていないが、

後世『不改常典(ふかいじょうてん)』と呼ばれるものを

天智天皇が残したといわれるのが真実だ、

と認められる傍証になる天智天皇の活発な文化活動の産物だ。

『続日本紀』慶雲4年の元明天皇即位と神亀元年の聖武天皇即位の2詔書に

その『不改常典』のことが、

「天智天皇が。天地日月と共に変わることなき典(のり)を残し給うた」と明記してある。


在来はこれを「大化改新のことだ」とか、

「近江令のことだ」とか、

「直系だけに皇位を伝えるという規則だろう」とか推測するだけで、

まだ定義されていない。

しかし皇室には、そんな古典は残ってもいないし、それについて何の伝承もない。

それを元明・聖武という

「咲く花の匂うような」奈良朝の大帝が、

わざわざ即位詔書の中で、繰り返し特記しているのである。

それは簡単に消えてしまうような典籍ではなかったはずである。

とすればそれは万人が、あああれか!と納得する大典でなければならない。

それに合う古典は天皇たちが学んで厳かに教えに従うべき、

『日本書紀』だけが実在しているのである。

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