ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年1月17日火曜日
18氏『纂記』記事の実体と舎人親王の深謀遠慮
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:19頁
18氏『纂記』記事の実体と舎人親王の深謀遠慮
しかし『日本書紀一書』をみると、
「国生み」の異説は10ある。
それらの一書は、持統天皇が朱鳥5年8月に提出させたと『日本書紀』が書く
『18氏の纂記』以外のものだとは考えられないから、
18氏らがすでにもっていた寓話であったことは疑えない。
決して舎人親王の創作ではなく。
後世に書かれたものでもない。
だから舎人親王が書き加えたのだとすることはできない。
「国生み」部分は舎人親王の意思とは無関係だと誰しもが思う。
だがそこに1つの「落し穴」がある。
「持統天皇が命じて18氏に『纂記』を提出させた」という記事は
『日本書紀』に書いてあるだけで他にはない。
舎人親王なら、その記事を書き加えることができる。
でもなぜ?そんなことをする必要があるのだろう?。
それを書き加えることで、「国生み」は舎人親王が自己の有利をはかって、
わざわざ強調したものではない。
それは「そう書いてあったのだから仕方がない」ということになり、
親王は追及を逃れ、「国生み」は第三者証言だという強みができるが、
自分で書いたと知られたのでは弱く、政敵に非難されて逆効果になる。
前後を深く観察すると親王はそこまで考えられる知性人である。
そして「国生み」には殊更に、10種もの「一書」が並べられている、
それは親王が工作し加筆したことを、
一層強く証言する動かぬ証拠に見えるのである。
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