ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年1月28日土曜日
絶世の大天皇・卑弥呼が抹殺されている理由
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:30頁
絶世の大天皇・卑弥呼が抹殺されている理由
天之御中主(実は美知能宇斯=道の大人(うし))を最初の皇祖神として、
本当は卑弥呼の宗女で仏教女王の壹與たちの父なのに、神に仕立てている。
すぐ後に奈良の大仏が建立されたり、
聖武天皇が「仏法の奴(やっこ)」などと自称するので、
倭国崩壊後も仏教は安泰だったと錯覚するが、
現実には倭国イコール仏教で、
仏教は惨めな敗北者だったのである。
その信仰の争いは一大宗教戦争だったのであり、
その激烈な実態は前哨戦だった蘇我馬子と物部守屋の事件でも
充分うかがい知ることが出来る。
敗北者は絶対に浮かび上れない。
仏教徒だと知られただけで役職を失うのである。
それを最大に象徴しているのが『記・紀』ともに、
仏教女王としての卑弥呼の巨大さを、
徹底的に完全に抹消してしまっている事実である。
後世の仁徳天皇以下が、
中国の小政府・宋の小役人の地位でしかない
『安東将軍』を確保するのに汲々としていた事実を考えると、
親魏倭王という中国皇帝と対等の地位を獲た彼女が
どれくらい偉大な天皇だったかよくわかるはずだが、
その卑弥呼を倭迩迩日百襲姫というシヤーマン扱いにしかせず、
神功皇后として描いてもやはり似たような程度の扱い以上には出ていない。
仏教の影は完全に払拭されていることがわかる。
『記・紀』が本当の『正史』なら特筆大書しているはずの卑弥呼の扱いが、
こうして全てを告白しているのである。
『My ブログ』
ウワイト(倭人)大学講義録
古代史ブログ講座
歴史徒然
ネット歴史塾
ウワイト(倭人)ウバイド
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
歴史学講座『創世』うらわ塾
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
ひねもす徒然なるままに
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
メソポタミア世界
シュメル-人類最古の文明
The ETCSL project,Faculty of Oriental Studies, University of Oxford
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
ひねもす徒然なるままに
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿