ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年1月27日金曜日
『日本書紀』と『古事記』の闘争と理由と証拠
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:29頁
『日本書紀』と『古事記』の闘争と理由と証拠
ではなぜ?全体は同じなのに、内容に違いがあるのであろう?。
それは先にみたように、編集者の立場が対立していたからだ。
外観が同じなのは、こちらこそ本物の国史なのだと、
主張し信じさせる必要があるからである。
仮に自分が主張したい部分だけを提示してみても、
それでは肝心の権威がない。
それはお前個人の考えに過ぎない。
歴史は『日本書紀』に書いてある。
お前のは手前味噌の『家伝』にすぎない。
と読んで貰えない。
これこそ天皇たちが公認した本当の歴史だと、
読者に信じてもらうのが、
何をおいても先決条件なのだ。
双方とも外観はそっくり同じ『正史』スタイルになっているのである。
しかし中身まで同じでは、本当の目的である「自己主張」はできない。
相手の記事のウソを指摘して、自分たちこそ本当の歴史を知る、
その歴史ある韓を造った貴族の一族なのだと信じて貰えなければ何にもならない。
だから『古事記』は磤馭盧島を、
わざとオノゴロ島に変えてしまった。
その理由は、
のちの『新撰姓氏録』が仁徳天皇系の人たちを一人も掲載していないことが、
はっきり証言している。
理由は、彼等はパーリ語を知る敗北者=旧倭国とは無関係だという主張なのである。
それはまた、彼等が仏教徒であることを隠し否定する記事の質と量も証言している。
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