2012年1月15日日曜日

『書紀』編纂史の生き証人『元嘉暦』と『儀鳳暦』



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:17頁

 『書紀』編纂史の生き証人『元嘉暦』と『儀鳳暦』
 『書紀』編纂史の生き証人『元嘉暦』と『儀鳳暦』

 御柱寓話のある『神代』巻には年代は使っていないが、

 それに続く『神武天皇紀』からは、

 紀元前年だと明確にわかる年の、

 「その年の冬十月丁未の朔辛酉の日に」と、

 東征出発の日から書き始めて、

 以後ずっと年月が記載してある。

 これが『儀鳳暦』である。

 『元嘉暦』は、

 持統天皇4年12月から使われて、

 持統天皇がその11年8月に

 文武天皇に譲位した時まで7年間使われた。

 『日本書紀』の記事の『元嘉暦』の部分は、

 この7年の間に年月や干支や日付が書き加えられたと、明確に定義できる。

 もう一度いうと『儀鳳暦』は、

 『元嘉暦』の廃止に伴って、文武元年以後に使われた暦である。

 舎人親王が編集した部分は皆、『儀鳳暦』で書かれているから、

 文武元年以後に書き加えられたことは動かない。

 なぜなら、それ以前からその記事がはいっていたのなら、

 全て『元嘉暦』の日付が入れられているはずなのに、

 その時は使われていなかった『儀鳳暦』の日付が入っているからである。

 しかし

 「『儀鳳暦』は天武天皇5年に我が国に伝わっているから、

  それを使って書いた部分があったのだ」という人がいれば、

 それは余りにも非常識な間違いである。

 国家の根幹をなす「邦家の経緯」である修史は万事厳格に規定されている。

 舎人親王の『儀鳳暦』使用も、

 それに従って、その時の正暦を使用した結果なのだ。

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