2012年1月10日火曜日

『日本書紀』が辿った完成までの道のり

ウワイト(倭人)大学講義録

『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:12頁

『日本書紀』が辿った完成までの道のり
『日本書紀』が辿った完成までの道のり

もちろんそれは今みる『日本書紀』ではない。

それなら養老に完成した日時までわかっている。

しかしそれを天皇たちが、天智天皇の遺産だとした考えは、非常によく理解できる。

すでに検討済みの通り、

その書名が「日本」であることが、まず強力な動かぬ証拠である。

では天武天皇は無関係か?。

天武紀には10年3月、川島皇子、忍壁皇子らに

『帝紀』と『上古諸事』とを記し定めよと命じた、

とあるから国史を編集させたことは間違いないが、

それは『日本書紀』とも『古事記』とも書いてない。

『古事記』序文にある「帝紀と本辞はウソが多い」といって訂正させ、

それが舎人親王に引き継がれて、『日本書紀』として完成したとみるのが、

史料から得られる最も納得のいく結論である。

これなら天皇たちが公的に

『日本書紀』を『不改常典』として詔書で貴とんでも不思議はない。

『原日本書紀』の存在は当然天皇たちには知られていたから、

その生(なま)の書名を呼ぶことを避けて

「天地日月と共に変わることなき典(のり)を残し給うた」

と賛辞を奉る表現の方式は、皇室の常識だからである。

『日本書紀』は

①天智天皇が原本を作り、

②天武天皇がその書き替えを命じ、

③川島皇子らが訂正し始め、

④舎人親王がそれを引き継いで完成したというのが最も正しい。

だからこそ元明天皇らは天智天皇の功業として、

天智天皇の『不改常典』と誇示したのである。

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