ウワイト(倭人)大学講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:12頁
『日本書紀』が辿った完成までの道のり
『日本書紀』が辿った完成までの道のり
もちろんそれは今みる『日本書紀』ではない。
それなら養老に完成した日時までわかっている。
しかしそれを天皇たちが、天智天皇の遺産だとした考えは、非常によく理解できる。
すでに検討済みの通り、
その書名が「日本」であることが、まず強力な動かぬ証拠である。
では天武天皇は無関係か?。
天武紀には10年3月、川島皇子、忍壁皇子らに
『帝紀』と『上古諸事』とを記し定めよと命じた、
とあるから国史を編集させたことは間違いないが、
それは『日本書紀』とも『古事記』とも書いてない。
『古事記』序文にある「帝紀と本辞はウソが多い」といって訂正させ、
それが舎人親王に引き継がれて、『日本書紀』として完成したとみるのが、
史料から得られる最も納得のいく結論である。
これなら天皇たちが公的に
『日本書紀』を『不改常典』として詔書で貴とんでも不思議はない。
『原日本書紀』の存在は当然天皇たちには知られていたから、
その生(なま)の書名を呼ぶことを避けて
「天地日月と共に変わることなき典(のり)を残し給うた」
と賛辞を奉る表現の方式は、皇室の常識だからである。
『日本書紀』は
①天智天皇が原本を作り、
②天武天皇がその書き替えを命じ、
③川島皇子らが訂正し始め、
④舎人親王がそれを引き継いで完成したというのが最も正しい。
だからこそ元明天皇らは天智天皇の功業として、
天智天皇の『不改常典』と誇示したのである。
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