ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年1月26日木曜日
『古事記』の方が「先」の履中天皇の名乗り
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:28頁
『古事記』の方が「先」の履中天皇の名乗り
これで
『古事記』とは何か?
『日本書紀』とは何か?
という大問題に、
ほぼ80%具体的な定義が、研究史上、始めてえられた。
あとには出典の異なる個々の記録の分析と定義が残るだけである。
残りのページを活用して、その実例を幾つかお話ししてみよう。
履中天皇の名乗りは『日本書紀』は「去来穂別天皇」、
『古事記』は「伊邪本和気命」と書いてある。
これはイザナギのミコトという名乗りへの当て字だから、
本当は「伊邪木命」だったのだから『古事記』の方が正しく、
『日本書紀』の方が真相を誤魔化そうとしている、
という結論が、すでに出ている。
伊邪木が間違って伊邪本と書かれたものから去来穂という当て字が
生まれたとみる以外にないからである。
これは『古事記』は『日本書紀』を写したという結論とは、
正反対の結論しか出ない例である。
私たちが出した「『古事記』は『日本書紀』を写した」という結論は、
変えなければいけないのであろうか?
『古事記』は『日本書紀』を写したという結論は、
記事が神代から始まって天皇の配列も『日本書紀』と同じだという
『古事記』全体の「編集状態」が証拠になって出た結論だった。
個々の記事の内容はまだ一部しか検討していないので、
その結論は出ていないのである。
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