ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年1月14日土曜日
寓話「天の御柱めぐり」が生んだもの
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:16頁
寓話「天の御柱めぐり」が生んだもの
寓話「天の御柱めぐり」が生んだもの
この舎人親王の行為は、確かに私憤だが、
彼がたいそう道徳家だったことが
『日本書紀』を教科書として見ると、はっきりわかる。
彼は『日本書紀』を帝王学の教科書にするだけの倫理観と教養を身につけていた。
言い換えると彼は帝王学を学んで育っていたのである。
それは彼に始まったことではなく、
アレクサンドロス大王が
アリストテレスから帝王学を始め当時の最高の科学に至るまで、
ありとあらゆる古今内外の知識を教わったのと同じく、
幼時から高度の教育を受けるギリシャ発祥の王室の伝統が、
わが国にもあったからである。
わが国の五彩圏の5国の名が全てギリシャの国名であるのは、
アレクサンドロス大王が、占領した各国の首都に
アレキサンドリヤと命名したのと同じギリシャの伝統が、
わが国にも伝わっていたことの動かぬ証拠である。
そうしたギリシャの伝統を伝えていた我が皇室では、
舎人親王に限らず皇族の子弟が、
高度の帝王学を学んでいたのは当然だったのである。
だから親王は、寓話という形で、
露骨でなく、やんわりと、女性上位の欠点を指摘した。
それが「天の御柱めぐり」寓話だったのである。
それは露骨でないため速効性はなかった。
親王も天皇にはなれなかったが、
しかし確実に効果をあらわして、
ついに天皇は男子に限るという伝統を発進させ、
彼の皇子も即位して淳仁天皇になることができたのである。
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