2012年1月8日日曜日

定義『日本書紀』は「帝王学」教科書

ウワイト(倭人)大学講義録

『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:10頁

定義『日本書紀』は「帝王学」教科書
定義『日本書紀』は「帝王学」教科書

このことで明かになったのは「国生み」は一つの物語りに見えるが、

そこには同じ内容をもった複数の類型の史実が、

込められているという事実である。

これは似た話だから1つで間にあわせようというのではない。

それならソナカ=仲哀天皇の唯(ただ)1つの史実が、幾つにも分裂して、

ばらばらに嵌(は)めこまれている正反対の書き方をナゼしたか?が謎になる。

「『日本書紀』は、史実を伝えてはいるが史書ではない。教科書だ」というのは、

こうした事実による定義なのである。

では一体?

誰のための教科書なのか?。

それはギリシャの悲劇の歴史から伊弊諾・伊弉冉の2尊の論争と、

天照大神と素戔鳴の尊の事件と、すべて当時の国家の支配者、

最高責任者たちにしか選択できない

「戦争か平和か」という問題が主題になっている。

それは民主化して投票で為政者を選出する現代と違い、

古代には独裁者に近い天皇たち以外には無用の教訓である。

だから生徒は皇太子や皇子、

皇族の子弟に限定される戦前の学習院のような、

特権階級の子弟専用の「帝王学教科書」だったのである。

しかし、そんなものを誰が?、いっ?作ろうと思いっいたのだろう?。

私たちは女帝制が推古天皇で中断して、

実質、天智天皇の男王帝国に変わり、

それを倒した天武天皇も、また男帝制で押し通したことを知っている。

だから発想者はこの2帝のどちらか以外にはない。

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